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彼が目の前を、今にも通り過ぎようとした瞬間。
「あ、あの!」
思い切って発した声は半分、裏返っていた。
それでもわりと大きな声だったはずなのに、彼はまったく気付かない様子でスマホに視線を落としたまま私の前を大股で去っていく。
駄目だ、もう一度。
「あの! すみません! ちょっと待ってください!」
先ほどよりも声のボリュームを上げると、彼が二メートルほど先で立ち止まり、くるりとこらを振り向いた。
サングラスの奥の二重の目が私を見る。
きょとんとした表情で「え、俺ですか?」と言いながら耳からワイヤレスイヤホンを外した。
「そ、そうです」
ごくりと生唾を飲みこむ。
彼と会うことができたら何と言おうか何度も考えてきたはずなのに、緊張のせいで全て吹っ飛んでしまった。
「あの、先月、ここでぶつかって靴を……」
「あっ! あー、あの時の!」
私の歯切れの悪い説明で、彼はぱっちりした大きな目を更に大きく見開いた。
――覚えていてくれてよかった。
と思ったのも束の間。
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