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「急にそんなこと言われても、残業があって何時に終わるか分からないし……」
「だったら十九時以降なら何時でもいい。じゃ、待ってるからな」
「え、ちょっと!」
「よろしくな。美羽」
思わず目を見張るほど端整な顔で微笑んで私の名前を口にする。
戸惑って固まっている間に、さっさと玄関で靴を履いて出て行ってしまった。
私の傍らには渡すはずだったスニーカー入りの紙袋。
「えー……」
諦めとも呆れともつかない声が勝手に唇を滑り落ちる。
――変なひと。
出会った日から強引に私の行動を決めてしまう、かっこよくてぶっきらぼうで短気で頑固な爽の顔を思い浮かべて、私はこれからも続くことになった彼との付き合いについて思いを馳せた。
よく知りもしない女に大金を払ってお弁当を配達させるだなんて、やっぱりどうかしてる。
だけど、お母さんを思う純粋な気持ちと、私を心配してくれた眼差しは、きっと一欠けらだって嘘じゃなかった。
爽の瞳を思い返しながら立ち上がってカーテンを開く。
ベランダに続く掃き出し窓から見える空はもうすっかり白けて今にも昇ってくる朝日を待ち望んでいるようだった。
私はしばらくそのままで、東京の夜が明けていくのをじっと眺めていた。
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