368人が本棚に入れています
本棚に追加
「で、仕事の話をしたいんだけど……お弁当屋さんの彼女はまだここにいるかんじかな?」
設楽さんのその一言で我に返る。
「あ、す、すみません! 帰ります!」
もう一度、頭を下げると慌てて荷物を持って玄関に向かった。
「あ、ちょっと待てよ、これ……!」
背中に爽の声が聞こえるけれど、設楽さんの不審なものを見るような眼と、爽の言葉を思い出すととにかく急いでここから離れなければと気持ちが急いた。
心が落ち着かない。
なんで。なんで……こんな。
振り返らずに玄関からまろび出ると、急いでエレベーターに飛び乗った。
芸能人という現実味のない爽の住む世界と、地上の現実世界を繋ぐ長い長いエレベーター。
その金属の箱の中で、お弁当箱を爽の部屋に置き忘れたことに気付いて私は思わず天井を仰いだ。
――なにしてんだろ、私。
何を慌てていたんだろう。
何を焦っていたんだろう。
最初から爽とは住む世界が違うことは分かっていたはずなのに……。
ただ、宅配ピザと同じようにお弁当を届けていただけだと、分かっていたはずなのに。
どうして、爽のその言葉がこんなに心に突き刺さって、胸が痛むんだろう。
やんでくれない小さな痛みを紛らわせるようにブラウスの襟元をぎゅっと握って、私は爽のことばかり考えていた。
最初のコメントを投稿しよう!