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1♡「ヒナタ」
分かってたよ、分かってたけどね……。
なんで俺なんだって不満は当然あると思うよ。
俺だってやらなくていいならしないよ、こんなにハイリスクローリターンな任務なんて。
それだけじゃない。
セーブするにしてもETOILEの仕事もある。 シングルが冬に発売予定だからその準備もあるし、歌番組で出演が被る事もあるかもしれない。
ほぼリスクしかないんだよ、俺には。
もしこの事がバレたら、ETOILEのハルも、もしかしたらCROWNも、もっと言えば両事務所も、俺に関わるみんながバッシングの嵐に晒される。
──俺が一番、「なんで?」なんだから。
「約半年間、Lilyに力を貸してもらう大塚所属のETOILE、ハルだ。 事前に伝えておいた君達三名のみ、まずは挨拶をな。 この事実は墓場まで持って行けよ。 連帯責任なんだからな」
「はい」
「はい」
「はい」
極秘でSHDエンターテイメントの事務所にやって来た俺とマネージャーの林さんは、Lilyの中核メンバーだと紹介された三名の女性達から厳しい視線を浴びていた。
紹介してくれたLilyのマネージャーらしき男性は、どことなく成田さんに似ている背格好で、足立さん…って言ってたっけ。
一人ずつ蚊の鳴くような声で自己紹介してくれてもまったく頭に入ってこないのは、会議室に現れた三人がずーっと仏頂面で睨んでくるから。
……どうして俺と林さんがこんなに睨まれなくちゃならないの……。
Lilyにとっても寝耳に水な話なのかもしれないけど、俺にだってそうなのに…。
事前に説明を受けてたんなら、ほんのちょっとだけでも態度を軟化してくれるとありがたいんだけどな。
ただでさえ目を合わせられないのに、バッチリメイクでギロッて睨まれたら挨拶もまともに出来ない。
「……は、葉璃です、……よろしくお願いします」
「僕はETOILEのマネージャーをさせて頂いております、林と申します。 よろしくお願いします」
俺と林さんは、そのキツい視線に耐えながらどうにか挨拶をしてみたものの、三人はずっと無表情で怖かった。
とりあえず今日は説明と挨拶だけで、足立さんに見送られて俺達はその場をあとにした。
年内はETOILEよりもLilyを優先したスケジュールを組むらしいから、俺は明日もダンス練習のためにここへ来なきゃならない。
しかも明日は十人揃う。 睨んでくる人数が三倍になるって事だ。
……うぅ……今から胃がキリキリしてきた……。
「はぁぁぁ……怖かったぁぁ……」
林さんが運転する社車に乗り込むと、背もたれに寄りかかって心からの溜め息を吐く。
足立さんから今回の件についての説明を受けて、三人と対面するだけのたった一時間が、何十時間にも感じた。
そんな俺の大袈裟な溜め息に、居心地の悪そうだった林さんも疲れ気味だ。
「お疲れ様。 それにしても、あの態度はハルに失礼だよ。 こちらはお願いされてリスク抱えて助っ人に来ているのに」
「で、ですよね……! 俺悪くないですよねっ? 女性グループに男が助っ人に入るなんて納得出来ないのは分かるけど、あんなに怖い顔してちゃダメですよね! あちら都合なんだし……!」
早くも「嫌だ」「無理」って言っちゃいそうだったけど、我慢して飲み込む。
事務所同士が決めた事なんだから、Lilyのみんなも俺みたいに腹を括っててほしかった。
不安でいっぱいな俺の事よりも、離脱したメンバーの代わりが「ハル」である事の方があの子達には重要なんだ。
分かるよ、分かる。 分かるんだけどさ……。
「ハル、……今さらだけどこの話、断ってもいいんだよ? もう一度セナさんが社長に掛け合えば……」
「それはダメです! 一回やるって言っちゃったからには、任務が終わるまでは頑張ります。 ……「ヒナタ」になります。 だから林さん、聖南さんには何も言わないでくださいね。 俺も弱音とか吐かないようにするから……」
「でも…あのグループはいろんな意味で大変そうだよ」
「………大変でもやります。 やるしかないんです。 Lilyに居る時は「ハル」を捨てる、その覚悟なら……出来てます」
「そっか。 僕も出来る限りのサポートするからね、何かあったらいつでも言ってね」
俺の隣に居たばっかりに、実際に睨まれてしまった林さんはすごく心配してくれていた。
マンションまで送ってもらって、俺が車を降りる間際も「何かあったら言ってね」とありがたい事にもう一度念押ししてきた。
聖南も、アキラさんも、ケイタさんも、恭也も、「なんで今日なんだ、仕事で行けないのに」ってみんな電話越しで怒ってたけど…その理由が何となく分かった。
一緒に行ってあげたかった、と一様に言ってくれたのは、彼女達のあの態度が予測出来たからなんじゃないかな。
事務所の偉い人同士が、Lilyのみんなの意見は聞かずに事を進めたんじゃないか…って。
コンシェルジュさんにペコ、と挨拶してから玄関の鍵を差し込んで扉を開ける。
すると全身が聖南の匂いに包まれて、鬱屈とした気持ちが一瞬で晴れた気がした。
「……聖南さん……」
今日は何時に帰ってくるんだろ。
朝は俺より早く家を出て、帰りもこんなに遅い。
聖南にとっては夜の十時前なんてまだまだ早い方なんだろうけど、……寂しいな。
朝も、夜も、聖南と居られるから寂しさはほんのちょっとなんだけど。
寝癖を適当に直した眠そうな聖南に「行ってらっしゃい」と言えて、仕事から帰ってきた元気いっぱいな聖南に「おかえり」が言える。
部屋中が聖南の匂いだから、寂しくても我慢できるよ。
帰ってくるから。 俺が居るって分かってたら、聖南はどんなに遅くなっても飛んで帰ってくるから──。
「ん……聖南さん……?」
ソファで横になった途端に落ちてた俺は、すぐそばで気配を感じてゆっくりと瞳を開く。
がらんとした広い室内は電気も付けていなかったのに、煌々と輝く存在がしゃがんでジッと俺を見ていて…寝起きには眩しかった。
ダークブラウンの髪を肩まで伸ばしている聖南は、髪を耳にかけて「ただいま」と微笑んで、うっとりするほど優しく頭を撫でてくれる。
「ごめんな。 起こすつもりはなかったんだけど」
「おかえりなさい。 寝てたのに視線感じましたよ」
「凝視してたからな」
「ふふっ……怖いですって」
笑いながら体を起こすと、聖南に抱えられてギュッと抱き締められた。
……聖南だ……聖南さんだ……っ。
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