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男は夜のカフェテラスで人を待っていた。
テーブルの上の珈琲は外気に触れてぬるくなっていた。ソーサーにカップを戻す音が無機質にこだまする。
テラス席には男のほかにだれもいない。ひっそりと下ろされた夜の帳は、喩えるならそう、丁寧に織りあげた絹織物の手触りだ。なめらかで光沢があって、なにより男をやさしく覆い隠してくれる。過ぎゆく人々の奇異の視線から。
蝶番の錆びついた音がして、店内の白熱電球の明かりがテラス席へと伸びる。ひかりを背にまとったウェイターのシルエットが、膨れあがるように近づいてくる。
「中の席も空いておりますが」
かけられた声は遠慮がちで、男は首を振って断った。ウェイターは押しつけがましくなく、その表情を逆光の陰に隠したまましぼむように遠ざかる。
あのウェイターは内心、ほっとしただろう。自分の異形が明るいひかりのもとにさらされれば最後、店内は騒然として、阿鼻叫喚に包まれる。男はそんな空想にひたってほくそ笑んだ。
空の低いところに細く月が掛かっている。大海原を漕ぎ出した笹舟のように、頼りなげに光っていた。
男には秘密がある。それを告白するための相手を、今、待っている。
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