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第10話 われはゲイなり
雄吾と冬馬の東京観光二日目は、伝統的な日本へも足を運んだ。皇居や歌舞伎鑑賞に行き、台詞などは難しくて分からないところもあったが、伝統文化を感じるのは楽しかった。浅草寺では、大きな提灯に、冬馬は外国人観光客以上に喜んだ。
「これ、実物を見てみたかったんです。思ってたよりは小さかったけど」
お年寄りや外国人観光客に交じって、たっぷりと煙を身体に浴びた。楽しそうにはしゃぐ冬馬を、雄吾はニコニコと見守っていた。
それから屋形船に乗った。川遊びしながら飲食できる仕組みが面白い。冬馬は、隅田川沿いを次々に流れていく東京の景色をうっとりと眺めた。そして、無言でビールを煽る雄吾の姿をチラッと横目で眺めた。
今日の雄吾は口数が少ない。それに、冬馬の身体に触れないようにしている。自分を見つめる優しい眼差しには、時折恋の熱情がひらめいていた。しかし昨夜の告白や交わした口付けについては、まるで何事もなかったかのように振舞っていた。気持ちをこれ以上冬馬に押し付けてはいけないと自制しているようだ。彼の腕の中で冬馬が葛藤に耐えかねて泣いたからだろう。
もう一歩踏み込んで雄吾と話がしたい。自分に触れた彼の唇や指先は、情熱的なだけでなく優しかった。奥手な自分がリラックスして気持ち良くなれるようにと気遣ってくれた。彼となら、繊細で内面的なことについても話し合えるのではないか。
「雄吾さん。いくつかお聞きしてもいいですか? かなり個人的な内容だから、もし答えたくなければ、断ってくださっても結構です」
冬馬は勇気を振り絞って、第一声を発した。
「いいよ。何でも聞いてくれて構わないよ」
雄吾は口元を緩め、涼しい笑顔を浮かべている。
「失礼は承知でお聞きします。……雄吾さんは、ゲイなんですか?」
「そうだよ」
「周りの人に、オープンにしてますか?」
「基本的には、聞かれれば正直に答えてる。相手が興味本位とか何か意図を持ってる時は、『俺のセクシュアリティがお前に関係あるの?』って返すけど」
単刀直入な冬馬の質問に、雄吾は淡々と答えていく。
「最初からずっと、そうしてるんですか?」
「……いきなり核心的な質問だな」
雄吾は苦笑した。
「あ、もし嫌なら……」
いくら何でも不躾だったと慌てて取り消そうとしたら、雄吾は遮った。
「いや、いいよ。……苦い思い出があるんだ。自分を偽って、好きな人を傷付けた過去がね」
雄吾の口から『好きな人』や『過去』といった言葉が出て、冬馬の胸はチクリと痛んだ。
(雄吾さんは大人だし、こんなにカッコ良いんだもん。過去に何度も恋愛していて当たり前だ……)
「好きな人って、男の人ですか……?」
更に自分の胸をえぐるかもしれない。それでも冬馬は聞かずにはいられなかった。少し声が震えた。
「うん。陸上部の後輩だったんだ。彼も俺を慕ってくれてた。でも、彼が告白してくれた時、俺は逃げたんだ。自分はゲイじゃない、お前と付き合えないって。……彼はいつの間にか、部活からも大学からもいなくなってた」
雄吾は切なげに目を細め、外に目を向けた。その表情や雰囲気から、互いに真剣な恋だったことが冬馬にも分かった。
自分の性的指向を心の奥底に隠して鍵を掛けてきた冬馬は、これまで恋らしき恋をしたことがなかった。
「あの人カッコ良いな。素敵だな」
そんな風に、ぼんやりした憧れや好感は抱いたことはあるが、胸を焦がすほど誰かを強く求めた経験はなかった。
(もし、僕が真剣に誰かを好きになったら、今までみたいにゲイであることを隠せるだろうか? もし、その相手から告白されたら、『僕はゲイじゃない』って拒絶するのか?)
彼が経験した葛藤や苦しみに思いを馳せつつ、自分の身に置き換えて冬馬は考え込んだ。
彼は再び冬馬に目線を戻した。口元は笑っていたが、澄んだ眼差しは強かった。
「……俺は、怖かったんだ。周りにゲイだって知られるのが。ゲイであることを認めるのが。だけど、彼を傷付けた自分はもっと嫌だった。そして、ゲイである自分を恥じたことを後悔した。だから、それからは自分を偽らずに生きようと思ったんだ」
『自分はゲイだ』と堂々と認める雄吾の清々しい表情は、冬馬には眩しかった。
「雄吾さんは強いですね。自分の失敗や葛藤ときちんと向き合って乗り越えたなんて」
冬馬は賞賛の溜め息をついた。偽らざる本音だった。アフリカほどではないとは言え、日本でもまだ同性愛者に対する偏見はある。そんな環境でありのままの自分を認めるのは易しくないはずだ。
「そんなことないさ。少なくとも、人ひとりの人生を変えたんだ。酷い男だよ。
……冬馬にも、悪いことしたと思ってる。俺の気持ちを押し付けようとしたから」
自分について語る雄吾の目は、再び熱を帯びていた。昨夜の熱い口付けを思い出し、冬馬はどぎまぎして頬を赤らめた。
「ごめんな。君がすぐ日本を離れることも、君の国は同性愛者に対する差別が厳しいことも知ってたのに」
雄吾は照れたように笑った。二人は暫し無言になった。互いにビールを注ぎ、黙々とグラスを空けた。
「この後の予定は?」
さり気なく雄吾が尋ねた。
「連休明け初日に、ひとつアポイントがあって、それが終わったらケニアに帰ります」
「次に日本に来る予定はあるの?」
冬馬は一瞬言葉を飲み込んだ。
「……僕、秋からアメリカに留学する予定なんです。だから、日本には当分来れないと思います」
「…………そっか」
雄吾は切なそうに薄く笑った。
あと一日で、冬馬の東京での休暇は終わる。それは、雄吾と過ごす時間もあと僅かしか残されていないことを意味している。
(次はいつ雄吾さんと会えるんだろう。
……ちゃんと約束しなければ、もう二度と会えないかもしれない)
寂しくて胸が痛い。そんな自分に困惑した。彼は、ただの行きずりの人のはずなのに。
二人は視線を合わせず、無言で互いにビールを注ぎ続けた。
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