『ハンカチにアイロン』屋さん

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 とある国の昔話。  小さな村をぐるっと囲む深い森の片隅に、ぼくはひとりぼっちで住んでいた。太陽が上りきらない季節になったので、木々が陽の光を遮り日中でもぼんやり薄暗い。ぼくはまだ子供だから大人に見つかったら村に連れていかれてしまうけれど、密に生い茂る背の高い木々がぼくと、ぼくの住む小さな丸太小屋を隠してくれていた。  朝起きると小屋を出てたき火をする。秋の間に拾い集めて乾燥させておいた木の枝を火にくべる。もう少し大きくなって斧を振ることができるようになれば、たくさん薪を割ることができるんだけどな。そして作っておいた炭を置き、暖を取ると同時にアイロンをかける準備をしていく。  木の株に座りミルクを小鍋に入れて温めた。パンをあぶって食べていると、鈴の音がリンリン、と少しずつ大きくなるのが聞こえて、いつもの郵便屋さんの姿が見えた。 「やあ、今日の手紙。あとこれどうぞ」 ぼくに真っ赤な林檎をひとつ、差し入れてくれた。 「わあ、ありがとう」 郵便屋さんはぼくのたった一人の味方だ。こんな深い森の中まで来てくれて本当にありがたい。ぼくはわくわくして林檎と手紙を一通受け取った。 「気をつけて」 郵便屋さんは片手を上げて戻って行った。鈴の音が遠ざかると、林檎を左腕の袖に擦りつけ、ぴかぴかに光らせてがりっとかじった。甘みと酸味で目をぎゅっとつぶった。おいしい。 残った芯をたき火に投げ入れるとパチパチと音が大きくなり、林檎のさわやかな香りが辺りにただよった。食事が終わると家の中に入って手紙を開けた。若い字で書かれた仕事の手紙だ。 「『ハンカチにアイロン』屋さん、初めまして。 今度の金曜日によくしわの伸びたハンカチを持って、村の南にある公園に来てください。ハンカチは二枚、用意してくださいね」  手紙をテーブルの上に置き、桶に汲んである水で手を洗い、チェストの引き出しを開けた。中に色とりどりのハンカチをきれいに並べてある。暖かい季節のうちに作ったものだ。森に咲くピンクや紫、黄色の花々や鮮やかな緑の草を摘み、煮出して液を作り、そこに布を漬ける。小屋の裏に流れる小川で洗ってまた液に漬ける。これを繰り返していろいろな色のハンカチを作った。濃淡の美しい、色とりどりのハンカチは村でちょっとした人気になっているようだ。  ぼくは手紙のお客さんのために、乙女(おとめ)色と(あま)色の木綿のハンカチを取り出した。テーブルの上に広げて古い鉄製のアイロンを持ち、外に出た。蓋を開けて炭を2、3個入れるとずいぶん重い。腰を引きながら両手で持ち、そろそろと小屋の中に戻った。  指をぬらしてアイロンの舟形の底にそっと触る。あっつい。左手を慌てて引っ込めるが、人差し指の先はすっかり堅くなってしまった。ハンカチを焦がさないようにアイロンを滑らす。いったんしわになると直らないので慎重に、丁寧に。布から花の香りが立ちのぼってくるようだ。ピンクとブルーのハンカチにアイロンをかけ終わると、丁寧にたたんで熱がひくのを待つ。片づけをしながら、村に行ってお代が入ったら帰りにチーズを買ってこよう、と考えた。たき火で温めたとろとろのチーズをパンにのせて食べよう。うん、最高だ。
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