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エピソード 1
俺を家に連れて行ってすぐに花音は宣言した通り学校へ行ってしまった。
花音のおじい様は花音との血の繋がりを思わせる優しい顔立ちをしていて、怪しい俺の事も大した説明も無いのに黙って受け入れてくれた。
厄介になっている俺が言うのもなんだが、二人そろっていい人過ぎて心配になる。
残された俺はとりあえず花音のおじい様に渡された制服に着替えて、約束通り店を手伝う事にした。
おじい様に手渡されたのは、簡素な真っ白なシャツに黒いズボン。真っ黒なロング丈の腰下エプロン。
普段俺が身に着けていた物は全てが俺の為にあつらえられた物で、おじい様に渡されたそれに少しだけ違和感を覚えるが、なんならそれすらも楽しいとさえ思えた。
聞けばこの制服は花音の父親の物で、今は両親とも他界しており花音は喫茶店兼自宅でおじい様と二人で暮らしているらしい。
「息子のだから少し小さいだろう?それしかなくて申し訳ないねぇ」
と、申し訳なそうに眉をへにょりと下げて言う。
「いえ、何から何まで感謝しかありません。私のような得体の知れない者を快く置いていただきありがとうございます」
そう言って頭を下げるとおじい様はにっこりと微笑んだ。
給仕の仕事は、され慣れているのでさほど難しくはなかった。
お客が来たら笑顔で迎え入れ、注文をとり客の邪魔にならないようにサーブする。
しかし、ここは普通の喫茶店だ。
決して目立ちすぎず、かといって影になりすぎず、バランスよくその場に華も添える。
自分の見せ方を俺はよく知っていた。
にっこりと微笑めば男も女も魅了する。
物事を有利に進めるのに微笑みや仕草は武器になるのだ。
俺はそうやって教えられてきたし、自分自身もそうだと思っていた。
だから、感情が動いていなくても笑えるし怒れるし泣けるのだ。
家を出てからの俺は初めて息をするような不思議な感覚を味わっていた。
『楽しさ』『呆れ』
初めての感情。
そうは言っても動いたのは極僅かのものだった。
それでもとくとくと聞こえる心の音が心地よかった。
そして、それと同時に『こんなものか』とも思っていた。
―――――そして、花音に出会った。
あの時、花音に声を掛けられ初めて心が揺さぶられるという事を知った。
初めて自然に涙を流していた。
あの涙の意味は今も分からない。
それからはもうダメで、自分でも分からないくらい感情があふれ出す。
あぁ、全てが楽しい。楽しくて仕方がない。
世界が輝いて見える。
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