マナーハンターを始めた理由

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マナーハンターを始めた理由

 インターホンが鳴ったので、僕は扉の覗き穴を確認した後、扉を開けた。  小太りのおじいさんは、僕の住むアパートの大家さん。  僕が素っ裸だったので、大家さんは少し動揺したが、すぐに何事も無いように訊ねる。 「弘樹(ヒロキ)君、さっきから君は誰と喋っているんだい?」 「ああ、すみません」 「もう夜遅いから静かにしてよ」  大家さんは1ルームアパートで一人佇む裸体の僕を不思議そうに見る。 「誰と喋っていたの?」 「ヒロキですよ?」  大家さんは、冗談はよしてくれって態度。 「ヒロキ君はキミだろ? 電話かい?」  僕は首を横に振る。 「いいえ、ヒロキは居るんです。理想の自分です」  大家さんは首を傾げた。 「頭の中で理想の友人を創るんです。けれども、なかなか上手くいかない。だから理想の友人じゃなくて、理想の自分を想像したんですよ。そしたらヒロキは現れてくれたんです」 「君は多重人格者かい?」 「いいえ。ただ、自分の理想、なりたい自分が、すぐ傍に居てくれる友達みたいに思える、そんな温もりと実在感を求めているんです」  大家さんは腕組みする。 「まぁ、上京した子だと一人暮らしが馴染めないってこともあるからね」 「別に寂しいわけじゃないんです。だけど、何か新しいことを始める時、一人だと心許ないけど、二人なら乗り越えていける気がしませんか?」  大家さんの寂しい眼差し。 「まぁ、そうだね……」 「僕は何か新しい仕事を始めたいんです。その時に、ヒロキが、理想の友達でも恋人でもない、理想の自分を体現したような、そんなヒロキが僕と一緒に居てくれれば、僕はどんなことにでも挑戦出来ると思うんです」 「分かった。でも声は小さめにね」 「ありがとうございます」  大家さんは扉を閉めた。  裸のヒロキが後ろから現れる。 「どうだった?」  僕は首を振る。 「ダメだよ、分かってくれなかった」 「そうか……」  ヒロキは残念そうに下を向く。  今度は僕がヒロキを安心させる番だ。  僕も生まれたままの姿。 「ヒロキ、僕はいつも君の傍に居るよ」  僕はそう言って、ヒロキの左肩に手を伸ばす。  ヒロキが微笑んでくれて嬉しい。  僕達はサッシの方へ歩み寄る。  ヒロキが夜空を眺めながら呟く。 「月が綺麗だな……」
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