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3
――やめろ!――
昼休みの教室。たくさんの聞き取りたくない声を無視しながら弁当を食べていた時だ。能天を突き抜けるような悲痛な叫びに、私はびくんと身体をそらせた。
誰? 誰が困っているの?
声の主はすぐに見つかった。夕影君だ。頬が赤く腫れている。教室の後ろの方で、数人の男子が彼を取り囲んでいた。
「ゆーれい、お前、本当に男かよ? 何だあその声は。耳障りなんだよ! それにその顔。ちょっと綺麗な顔してっからって、いい気になってんじゃねーよ!」
「何だ、その目は? やるか、ゆうれいさん」
――悔しい。悔しい! 畜生!――
夕影君の心の叫び。びんびん伝わってくる。それとは対照的に、取り囲んでいる男子たちの声は邪悪な喜びに溢れていた。
――とにかく困った顔が見たい!もっと苛めてやれ! ――
――人間サンドバックがいると助かるぜ! ――
醜い! 汚なすぎる。
「ほんと、お前気持ちわりーんだよ。中学生男子だとは思えねえ」
「俺たちが強くしてやるって言ってんだ。有り難く思えよな、ゆーれい」
そう言いながら、一人は腹を蹴り、一人は顔を殴った。
――痛い! 僕の名前はゆーれいじゃない。余計なお世話だ! 畜生! 何で僕だけいつもいつもこんな目に!――
人間のこんなに悲しい声は初めてだ。
これが世に言う、苛め?
何とかしたい。でもどうすれば……。
私のイライラした心に反応してか、強い風が教室に入ってきた。カーテンが舞い上がる。運良くそれは夕影君を取り囲んでいた男子たちにかぶさった。
私はすかさず夕影君の手をとり、教室を飛び出した。
走る。走る。走る。そうだ、屋上へ行こう!
――バタム!
屋上のドアを開けた瞬間、気持いい風が頬をかすめていった。男子たちは追ってこなかったようだ。とりあえず、ほっとする。
「大丈夫? 夕影君」
「あ、ありがとう」
夕影君はそう言うと悲しげに笑った。
「なーんか僕って情けないね。女子に助けられちゃうなんて。こんなんだから苛められるんだよな」
今まで保健室にいる時間が多くて知らなかったが、夕影君がどこか暗い顔をしていたのは苛められていたからだったんだ。
なんて言ったらいいか私は少し迷った。
「……成長の度合いって、人によって違うから。
それにあいつらひがんでるんだよ。夕影君顔が綺麗だから」
「……」
夕影君は黙って空を見ていた。
初夏の蒼い空。
何だかその姿が痛々しかった。
私には夕影君にどうしてあげることもできない。声は聞こえるのに! なんとかして、力になれないものか……。私から夕影君へ出来ること……。何か……。何かないものか。
! そうだ!
私は夕影君の頭に手を当てた。
「え! な、何?」
夕影君は動揺している。
「いいからじっとしてて」
「う、うん?」
私から夕影君へ出来ること。花を咲かせたように、彼の成長を促せばいいんだ。成功するかは分からないけれど、夕影君のために何かしたい! 声は聞けるのに何もしないままなんて、そんなの嫌だ!
私はしばらく彼の頭に手を当てていた。
「ごめん。もういいよ」
「何したの?」
私はくすりと笑った。
「おまじない。夕影君が強くなるように」
「おまじない、か……。美月さんって優しいね。何だか元気出た」
「それはよかった。
あんな奴らはほっときゃいーのよ。反応すればするだけ喜ぶ馬鹿たちなんだから。ね、負けるな! 少なくとも私は夕影君の味方だから! 何かあったら相談に乗るよ」
人と関わることを避けてきた私にとっては珍しいことだ。苛めは、無視することができるほど、軽いものではないだろう。だが、そんな言葉しか私は言えず、夕影君の背中を力強く叩いた。
「い、痛っ!
う、うん。ありがとう」
この前の犬のときと同じ一時しのぎのようなものだ。
だけど。何でだろう。感謝の言葉はとても気持ちいいものだった。今まで嫌悪感しか抱けなかった人間。自分もその人間に属しているのがたまらなく嫌だった。
でも。
人間だって複雑なんだ。さまざまな思い。それは、悪い心だけじゃない。良い心は?
加害者だけじゃない。被害者は?
私は大事なものを見落としてきたのかもしれない。
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