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渡された千円札を持って、俺は堀の言葉を反芻する。全く人使いの荒いやつだ。何で俺なんかに頼むのか分からない。もっと仲のいい奴がいそうなのに。
自分の焼きそばパンも併せて二個。それと、俺はもうひとつ甘くないパンー。買うものを一通り頭で整理する。自分の順番が来そうなので、目の前の売り子をふと、見ていた。
薄い色素の茶髪。
俺をじっと見る目。
あの日、手を解いた、あの.......。
俺は目を疑った。じっと凝視していて気付かなかったが、もう俺の番になっていた。
「はーい、お兄さんは何?」
にや、と笑って、奴は俺に初めての様に話しかける。俺は咄嗟に言葉が出なかった。
巧なのか、と。
言えなくて、まるで時が止まったかのように立ち尽くす。
「焼きそばパンお勧めだよ。あー、お兄さんにはこれ、三角って言って、うちのイチオシパン。どう?」
「焼きそば…」
巧だ。
間違いない。この声、この髪。俺が何回も反芻したこの姿。
「巧」
言おうと思って口にしたのではない、でも自然と出てしまったその言葉。
「…後で行くよ」
そう言って、適当にパンを入れ込んで渡してくる。
その袋と釣りを受け取って、俺は列から外れた。
人ごみに紛れて、巧の姿は見えなくなってしまった。まるで熱に浮かされたかのように俺は講堂を浮遊していた。
「どうしたんですか、西岡さん」
「えっ…いや」
「夢でも見てる、みたいな顔してますけど」
俺は言葉が出なかった。まさか、あいつに会えるなんて。しかも、名前でさえも呼んだことがないのにまるでいつも呼んでいるかのように巧、と呼んでしまった自分を恥じた。
でも嬉しさの裏側に、もう一つの感情がふつふつと沸き上がって来るのが分かった。
…恐怖。
巧は何故ここへ入れている?βのアイツが、いったいどうしてこの閉鎖された空間に来れるのか分からなかった。
「西岡さん」
でかい瞳で覗き込まれ、俺はびくっと身体をちぢ込めた。
「…パンもらいますよ。どうもすみませんでしたね」
堀はパンを俺の袋から奪う。取り出した焼きそばパンをもぐもぐと食い漁りながら、俺に尋ねてきた。
「ねえ、西岡さん。昨日、もしかして田島先生とあの後会いましたか」
心が引っ張られるような感じを覚えて、俺は目を背ける。
「いや、別に」
「追っかけて行く田島先生を見たんでね。てっきり俺はもうあの人と一発ヤってるのかと思ってましたが」
「…そんな訳ないだろ」
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