記憶のその先

1/4
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

記憶のその先

昔、私はアルツハイマー型認知症と診断された。  そんな私が短期記憶障害の中で、唯一覚えている褪せることのない、無二の記憶。  朝、目が覚めるといつものように顔を洗い、歯を磨き、服を着替える。  記憶にはないが服は、私の枕の横に置かれていたので、考えるのも面倒くさくて手に取った。  そして家を出ると、そこには1人の男性がいた。  私はその人を見たことがなかった。  見たことがなかったけど、誰かはわかった。  私が起きたとき、天井に貼り付けられたメッセージカード。  そこに書かれている一言が、私の手を日記へと伸ばす。  日記には1日1日の記憶が鮮明に、色鮮やかな記憶として書かれていた。  思い出せないし、顔も知らない人とのストーリー調の日記。  妄想すら出来ないけど、それでもほくそ笑む記憶だった。  そうして毎朝、私は記憶を記憶していき、彼は毎朝、昨日の出来事を嬉しそうに、時には悲しそうに話すそのコロコロ変わる表情を眺めた。  日記の最後にいつも書かれていた。 「彼のコロコロ変わる表情は1日で、言葉にならないほどに好きになるよ、心が震えるから、明日の私にもそれを知って欲しいです」  そんな毎日に彼は耐えられているのか、悩むこともあったけど、彼の明るさがそれを拭ってくれていた。  けれど、そんなある日、彼と喧嘩をして、私達は感情に任せて離れていった。  普段は楽しくても、何処かお互いが傷つかない距離を保っていたその均衡が破れた瞬間。  一時の感情に支配された私は、彼なんて、そんな負の感情に支配されて、命より大事な日記を1ページ1ページ噛み締めるように破り捨てた。  捨ててしまえば、過去の事に出来る。  なんて便利なんだろう。  この病気をこんなに便利と思ったことはなかった。  それを喜ぼうとする私の心は、私の瞳から途切れることの無い涙を流した。  そうして枕を濡らした夜。  次第に怖くなる。  明日、彼のことを忘れているのだろうか。  日記が無ければ思い出せないのだろうか。  今からでも日記を繋ぎ合わせるべきだろうか。  そんな葛藤と意地が交錯したまま、私は眠りについた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!