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番外編:愛ある贈りもの
医者というのは因果な商売だ。大学病院の入院病棟に勤める春樹には、年末年始もクリスマスも縁のない言葉である。
「ハル。クリスマスが近いから、準備に焦る気持ちはわかるけど、あんまり根を詰めすぎるなよ」
元・義兄にして夫のアキこと岳秋が、熱いコーヒーを手渡しながら心配げに春樹の目の隈をチラリと覗き込んだ。
「ん。ありがと、アキ。あ、海外の景色とか、動物の写真のポストカード、ありがとね。子どもたち、きっと喜ぶよ」
春樹は眠そうな目をこすりながらも、ジャーナリストとして撮り溜めた中から子どもたちが喜びそうな写真を探し、ポストカードに仕立ててくれた夫に感謝を込めた笑顔を向ける。岳秋は目を細めて微笑み返し、ぽんぽんと肩を叩いて二人の寝室に戻っていった。
(あと三日でクリスマスイブ。みんなが寝静まったら枕元にプレゼントを配って、サンタとしての今年の出番は終わりだ……)
精神科医は、精神的にも肉体的にもハードな仕事だ。不健康な人の話を長時間聴き続けられるのは、職業的な訓練のたまものだし、病気が高じた患者は、時に常人では考えられない力を発揮して暴れることもある。細くて小柄な女性が、大の男を二、三人振り回すことなどザラだ。春樹も、生傷をこしらえることもある。
幼くして両親を喪った彼は、親と離れ離れでクリスマスを過ごす子どもたちに対して、ひとかたならない思い入れがある。精神科医に救われた子どもだった春樹にとって、この仕事は天職だと思っている。子どもたちの喜ぶ顔が見られるのは、何よりのご褒美なのだ。
きれいにラッピングし終えたポストカードの束を前に、満足げに伸びをして、春樹は、来たるクリスマスに思いを馳せた。
***
クリスマスイブの夜、春樹が自宅に帰り着いたのは、そろそろイブが終わろうかという時間だった。四十代に入り以前に比べると体力の落ちた岳秋は、早々に寝てしまう。春樹も手早くシャワーを浴びると、泥のような身体をベッドの岳秋の隣に滑り込ませた。明日は非番であることが何よりのプレゼントだと思い、彼は安心して眠りについた。
あくる朝。春樹はいつになく爽快に目覚めた。なぜだろう? 枕元のスマートフォンに手をのばすと、アラームをセットしたはずの時間を、とうに何時間も過ぎている。
「ええーーーーっ!」
非番の日でも生活リズムを変えないことで自分を律するストイックな春樹は、なぜアラームで目覚めなかったのか驚いてベッドから飛び起きた。そして、枕元に、不器用に包まれた本のようなものを見つけた。
それは、春樹の幼い頃からの写真を纏めたアルバムだった。おそらく、姉の夏実が保管してきてくれた子ども時代のものに続けて、岳秋が夏実と知り合ってから撮ってくれるようになった写真が並んでいる。
生意気そうに、警戒したように岳秋を睨み付ける顔。
ぼうっと、さみしそうに空を見つめる顔。
だぶだぶの詰襟の制服を着て、おしゃれした姉と笑顔で並んだ中学の入学式。
高校の入学式の時は、なんと岳秋と並んでいた。ツンと冷めた表情を浮かべた白い顔に、まだ少年ぽさが全く抜けていない細っこい春樹と、白い歯を見せた日焼けした笑顔でガタイの良い岳秋。凸凹コンビも良いところだし、いつもシャッターを切る役の彼が写り込んでいるのは珍しい。
(この時は確か、藍沢とお母さんをアキが写してあげて。藍沢が、「お返しに」って、アキと僕を写してくれたんだったな……)
春樹は、アルバムをめくりながら自然と笑顔になる。いたずらっぽい表情でコーヒーを持った岳秋が寝室に入ってきた時には、立ち上がって、ふたつのマグカップで両手の塞がっている彼に抱き付いた。
「世界一素敵なクリスマスプレゼントだよ、アキ! ありがとう。ごめんね、寝坊しちゃって」
「ふふ、気に入ってくれた? 良かったよ。今日は俺が朝ご飯も作った。ゆっくり寝かせてあげようと思って、スマホのアラーム切っといたんだ。クリスマスくらい、ゆっくりしたって罰は当たらないだろ?」
二人はアルバムをめくりながら思い出を語り合い、岳秋の用意した朝食を取った。亡くなった春樹の姉、岳秋の妻だった夏実のことを泣かずに温かい気持ちで話し合えるようになったのも、つい最近のことだ。
「アキがこんな粋なプレゼントを用意してくれたのに、僕、アキにプレゼントを用意するの、すっかり忘れてたよ」
「あぁ。それなら気にするな。腹も満たされたことだし、もう一遍ベッドに戻ろう。それだけで良い」
「……そういうこと?」
「そういうこと」
軽く頬を赤らめながら、春樹は岳秋に音を立ててキスをした。
「メリークリスマス、アキ。世界で一番愛してるよ」
二人は仲良く互いの腰に手を回しながら、愛を確かめ合いに寝室に戻った。
おしまい
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