第3話 運命の激変【岳秋】※

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第3話 運命の激変【岳秋】※

 岳秋(たけあき)は、春樹(はるき)の中学校に向けて車を走らせた。信号待ちで学校に電話を入れた。彼の実姉が事故に巻き込まれたので搬送先に彼を連れていく、と電話口に出た教員に伝えた。車が校門に辿り着くや否や、春樹が不安げな緊張した表情で駆け寄って来る。二人は無言のまま、病院に向かった。逸る気持ちのあまり、いつもより乱暴に車を止め、二人は病院に駆け込んだ。  背中に「XX警察署」と書かれた制服姿の警察官を目ざとく見つけて、声を掛けた。 「黒崎(くろさき) 夏実(なつみ)の夫です。妻が、事故でこの病院に搬送されてるってお電話を頂いたんですが。……これは、夏実の弟です」 「黒崎 岳秋さんですね? こちらへどうぞ」  岳秋に呼び止められた男は、無表情なまま、先に立ち、奥へ向かって歩き出した。岳秋は、春樹の肩を抱き、二人並んで警察官の後を付いて行った。次第に静かになる周りの気配から、岳秋は夏実の状況を薄々察した。しかし彼は、自分の悪い予感を信じたくはなかった。 (そんな訳ない。だって夏実は、ご両親のこともあるから、道を歩く時は人一倍気を付けていたんだから。怪我くらいは、してるかもしれないけど)  二人が通された部屋には、白い布が掛けられた台が二つ並んでいた。一つは、普通の人間の大きさ。もう一つは、とても小さい。 「奥様は、交差点に信号無視で突っ込んで来た乗用車にはねられ、その衝撃で頸部をかなり激しく損傷しました。その後、地面に落下し、お腹の中の赤ちゃんにも強い衝撃が与えられたようです。  ……まことにお気の毒ですが、お二人ともお亡くなりになりました」  目の前がチカチカした。額に冷や汗が浮かび、胸がムカムカする。無言のまま固まっていた岳秋の手を取り、春樹は言った。 「アキ。ものすごく顔色が悪いよ。手も冷や汗かいてる。昼ごはん食べた?」  この状況で、春樹は何を言ってるんだろう。彼に腹を立てるのは見当違いなのは分かっていたが、軽く苛立ちながら、岳秋はぶっきらぼうに言った。 「いや。食べてない」 「このままだと、アキ、貧血起こすよ。一回、腰掛けなよ。飲み物買ってくるから。  ……お巡りさん。姉と赤ちゃんの顔は見れますか?」  警察官は、少年の春樹が冷静に振る舞っているのに目を見張り、驚いた様子を隠さずに答えた。 「……お姉さんも赤ちゃんも、綺麗なお顔だよ。赤ちゃんは、まだ早産の時期だったから少し小さいけど」  それを聞いた春樹は、警察官に頼んだ。 「二人と対面する前に、義兄に何か飲ませて良いですか?」  落ち着き払った春樹に圧倒され、警察官は困惑気味に(うなず)いた。  戻って来た春樹の手には、スポーツ飲料のペットボトルが握られている。彼はそれをベンチに腰掛けていた岳秋に手渡し、隣にぴったりと寄り添って座った。ペットボトルを飲み干すまで岳秋の背中を優しくさすった。ボトルが空になったところで、二人は目を合わせ、警察官に声を掛けた。 「すみません、お待たせしました。夏実と子どもに会わせてください」  白いシーツを()けられた夏実は少し青ざめてこそいたが、まるで眠っているだけのようだ。静かな、優しい顔をしている。  岳秋は震える指で、その頬や口元に触れた。まだ温かい。彼女に呼び掛けられずにはいられなかった。 「夏実……? 寝てるだけなんだろ。あんまり俺を(おど)かすなよ。そろそろ起きてくれよ。今日は暑いから、歩くのは明日からで良いからさ。俺、車で来てるから。だから早く帰ろう。春樹も一緒だぞ? なぁ……、夏実。なんで返事してくれないんだ? これから幸せな家庭を作ろうとしてたのに。俺とじゃ嫌だったの……? なんか言ってくれよ……。嘘だろ? なんで結婚して、たった一年で俺と春樹を置いて行っちゃうんだよ……っ。  ……なつみぃいいいいーーーー!!!!」  岳秋は、夏実に(すが)り付いて悲痛な叫び声を上げた。膝が崩れ落ちそうにガクガクと震えていた。いや、膝だけでなく、全身が、熱病にでも(かか)ったかのように震えている。春樹は無表情に立ち尽くしていたが、片手で岳秋の腕を掴み、もう片方の手で彼の背中を(なだ)めるようにさすった。そして目線を夏実に向けたまま、か細い声で呟いた。 「お巡りさん。姉は、即死でしたか? あまり苦しまなかったですか?」  警察官は、ひゅっと息を飲み、一瞬、答えをためらった。目の前の遺族にどう言うのが、正しく、かつ優しいだろうかと考えたようだった。 「はねられた時点で、意識を失っていたようだよ。すぐに亡くなったと思う。だから、殆ど苦しまなかったんじゃないかと。赤ちゃんも、お姉さんとほぼ同時に亡くなったんじゃないかというのが、検視官(けんしかん)の見解だったよ」  春樹は、岳秋の背中をぽんぽんと優しく叩いた。 「姉さん、眠ってるみたいだね。こんなに落ち着いた優しい顔だもん。苦しい思いはしなかったんだね。それだけは良かった……。  ……アキ。赤ちゃんにも会ってあげようよ」  岳秋は、春樹の言葉に気を取り直し、赤ちゃんを見た。 「もう、ちゃんとした赤ちゃんだね……。可愛い……」  春樹は赤ちゃんの頭や顔を撫でながら、警察官に聞いた。 「抱っこしてあげても良いですか?」 「もちろんだよ。もう、必要な調査は終わってるから」  警察官の目は少し潤んでいた。 「お姉さんは、意識のない中でも、最期までお腹を(かば)って、赤ちゃんを守ろうとしていたそうだよ。そういう姿勢を取ってたそうだ」  春樹は赤ちゃんをそうっと抱き上げる。以前から夏実のマタニティ雑誌などを見て、新生児の抱き方を練習していたのだ。 「姉さんに似てる気がするけど、口元はアキに似てるかなぁ。……あ、男の子だ。じゃあ、この子は、冬彦だね」  春樹はポツリと呟き、泣き笑いしながら岳秋を見る。病院に着いてから、初めて春樹が見せた、感情らしい感情だった。泣きそうになるのを(こら)えようとしたら、笑いを顔に張り付けざるを得なかったような、不器用な表情。美少年の春樹が見せた不細工な顔に、岳秋は思った。 (違う状況で、ハルのこの表情を見てたら、きっと、俺、爆笑してたんだろうな)  最愛の妻子の痛ましい姿と、春樹の哀しみに、岳秋は、感情の堤防が決壊したかのように号泣した。
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