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カンパイ、アタシ! バンザイ、アタシ!
「ううううう……、やったあああああ!」
呻き声は歓声に、キーを叩いていた手は天上に突き上げ。
「締め切り……、守ったぞ!」
小説家になって四年。鳴かず飛ばず売れず知られず。
弱小作家として生きてきて、同年デビューの作家たちの華々しい活躍を歯ぎしりしながら見ているアタシだけど。
誇れることが一つだけある。
それが、『締め切りを守る』こと。
なにを当たり前のことをと言われるかもしれない。
だが、SNSで他の作家たちが「締め切りが、ヒーヒー」と言っているのを尻目に原稿を上げた時の爽快感。「もう落とすううう」という叫びを他人事だと笑うときの達成感。
それだけを糧にアタシは生きている。
それだけ、ではなかった。
アタシが誇りとしている『締め切りを守る』というその締め切りとは、アタシが決めた締め切りだ。
編集から指定された締め切り日の三日前。それが私が決めた『アタシ締め切り』だ。
編集諸氏からは、いつも早い!助かる!と大絶賛される。
そうでしょう、そうでしょう。アタシは人の役に立つのが好きなんです。だから、もっと仕事ください。
「よし! 原稿、送ろーっと」
データを添付するメールを書くのが、一番わくわくする瞬間なんだよね。自分がやりとげたという自負を最大限に噛みしめる。
でき上がった美文のメールを「送信~」っとぽちったら、なんとWi-Fiが通じてない。
「おっかしいなあ」
モデムを確認しに行くと、電源が切れていた。最近、停電なんかしてないし、プラグが外れたかな?
と、モデムを設置している重いタンスをどけてみたけれど、プラグはしっかりコンセントに刺さっている。抜いて差して電源ボタン。点かない。抜いて差して電源ボタン。点かない。抜いて差して電源ボタン。点かない。抜いて差して電源ボタン。点かない。……故障だ。
「ええええええ! なんで今!?」
アタシは機械のことなんてわからない。モデムがなにかもよくわかっていない。でも、ネットに繋ぐには絶対に必要なものだと思う。
「叩いてみたら直ったりして」
バシバシ叩いてみたが、そんなことで平成生まれの機械は動きやしない。今は令和だ、コンチクショー!
「か、買いに行かなきゃ、モデム、買わなきゃ」
慌てて財布を引っつかんで家から駆けだして、ふと思い出した。
昨晩、なけなしのお金を某国営放送局にむしりとられたことを。
「え、ATM!」
走ったが、時刻は午後九時。ATMは施錠されている。
アタシはクレジットカードなんて持たない主義だ。財布の中には三百二十七円。ネットカフェの入会金も払えない。
実際の締め切りは三日後、焦ることはない。と自分に言い聞かせても、アタシの中に残った最後の矜持をそんなにホイホイ捨てることなんてできない。
「……最後の手段」
アタシはスマホをぎゅっと握り締めた。
***
「ごめんなさいねえ、こんなに遅い時間にい」
今世紀最大の愛想笑いで言うと、宮増いやます先生は朗らかに「大丈夫ですよ」と言う。
アタシのスマホのアドレス帳に一人だけ登録されている作家仲間、宮増いやますは妙になまめかしいネグリジェを着ている。
「おやすみになってたんじゃないんですか?」
「ううん、一人呑みしてたところだから。どうぞ、パソコンこっち」
宮増先生は親切にもパソコンを貸してくれて、アタシの原稿を編集者のところへ送るのを見守ってくれた。
「ありがとうございますー! ありがとうございますー!」
土下座するアタシを、宮増先生は膝を突いて立たせてくれた。
「もう、わかったから。困ったときはお互い様でしょ」
「宮増先生……」
「ほら、落ち着いて座ろう。お酒、飲めるでしょ。なに飲む?」
「いやいやいやいや! こんな夜分にこれ以上のお邪魔はできません」
「私が一緒に飲んでほしいの。一人じゃ退屈でしょ」
ふわりとかわいらしく笑う宮増先生は、きっと天使の生まれ変わりに違いない。
たらふくお酒をおごってもらって、もう一度平身低頭お礼を言って、アタシは家に帰った。
宮増先生、なにかあったらアタシが助けてみせる!
翌朝、晴れやかな気分でメールチェックしてみたけれど、まあ、早朝のこと。編集者からの返信はなかろうと思ったが、なぜか返信が来ていた。
徹夜仕事でもしていたのだろうか?
メールを開いてみると、こんな文章が飛び込んできた。
「炎上してます! 早くプイッター見てください!」
なんのことかと思いつつ、いつも使っているSNS、プイッターを見て見ると、昨晩アタシが寝る前にしたプイートに恐ろしい数の書き込みがある。
どれもこれもアタシを非難し、愚弄し、侮蔑していた。
「な、なにが、なにこれ」
書き込みを一件ずつ見ていくと、だんだん話が掴めてきた。
「宮増いやます……!」
昨夜のアタシの醜態を宮増は面白おかしくプイートしていた。面白おかしく? いいや、こんなに悪意にあふれたプイートが面白いわけがない。
「カタクリ溶き子って、人の家に上がり込んで酒をたらふく飲んでいくような女だった。あの純情そうな小説は全部、嘘くさい造りものだ。作家自身の姿を投影していない小説を読んで泣いた私の純情を返してほしい」
これと同じようなプイートが時間を置いて五件ある。
こんな小さな作り話、毎日何千何万と流れ去るプイートの海に沈めばいいものを。
締め切り破りで有名な宮増いやますは売れっ子作家で、過激なファンが多いことでも有名だった。
こんなプイート一個でアタシの作家人生を潰すことなんて造作もないってことか。
だけどね、アタシはこの四年間、身を削るようにして、ほんの数人かもしれない読者さんのために小説書いて来たんだよ。
こんなことくらいで潰されたりしないんだよ。
アタシは誰よりも早く原稿を上げられる女なんだから!
だけど、それ以来、小説の依頼はぱったり来なくなった。営業のメールにも返信はない。焦れて何軒もの出版社に電話をしてみたら、一人だけ、こう話してくれた。
「カタクリさんはもうプイッター見ていないんですか? まだ炎上しまくってるんですよ」
そんなこと、知るか!
アタシにはもう、なにも残っていない。締め切りを守ることだけが誇りだったのに、その締め切りさえもらえない。
アタシは、アタシは、どうしたらーーーー!!
そしてアタシは完成原稿持ち込み専門の作家になり、今、誇りだけを胸に、くいっぱぐれている。
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