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東条アキラは恐怖に駆られ、心の耳をふさいだ。東雲モメは狂っている。彼女の言葉を聞き続ければ、こちらまでどうにかなってしまいそうだ。彼は財布から札を掴み取ってテーブルに叩きつけると、別れも告げずに出口へ駆け出した。
驚いた様子の店員を無視して通り過ぎ、扉を押し開けて外に飛び出す。
ここを離れろ。
一刻も早く彼女から離れるんだ。
東条アキラはただそれだけを考え、無我夢中で歩道を駆け抜けた。
──駅はどっちだ?
鼓動の高鳴りが思考を妨げるほどの大きさで意識に響く。彼はその合間で、なんとか現在地を掴もうとする。だがいつの間にか周囲に霧が立ち込め、ただでさえ見知らぬ土地がさらに異質なものへと変貌していた。
──駅はどっちだ?
焦れば焦るほど、頭が直線を描けなくなる。東条アキラの思考はかき乱され、あらゆる方向へぶれながら様々な閃きをかすめていく。
ここはどこだ?
東雲モメはただの異常者だったのか?
だとしたらあのツイートはどうなる?
読んだこともない哲学書の引用はできないという、あの言葉との奇妙なリンクはどうなる?
リンク──?
そこで彼は、去り際に聞いた彼女の言葉を思い出す。
物語の登場人物がわたしに影響を与えるんです! こうして話しているわたしの言葉は、キャラクターの言葉なのかもしれない! 登場人物とわたしのリンク! 一体化です!
彼のなかで、恐ろしい結論が導き出されようとしていた。
だが──そんなはずはない。
自分は彼女の物語の登場人物なのだろうか?
いや、それとも逆か?
東条アキラは正気の沙汰にしがみつき、真実を見極めようとする。
その手はやがてスマートホンに伸び、Twitterアプリを起動していた。
東雲モメ@ShinonomeMomeのアカウントを探す。
あのとき見た、あのツイートを探し求める。
だがそれは存在しない。
東雲モメの痕跡はネット上から消え失せていた。
──すべては妄想だったのか?
呆然と立ち尽くす彼の手のなかで、不意にスマートホンが振動した。
着信:朝倉アサミ
木田マモルの恋人からだ。彼女から東条アキラに連絡が来ることはごく稀だった。突然のことに戸惑いながらも、確かな現実からのコンタクトに安堵し、応答ボタンをタップする。
「はい」
「マモルが……大変なの、マモルが……!」
「え?」
「連絡つかないから部屋に来てみたんだけど、そしたらマモルが……死んでたの。マモルが死んじゃったの!!」
「死んだ? ちょっと待って、何があった? どういうことだ?」
「わかんない。でもマモルの耳から……血が噴き出してる。耳からものすごい量の血が!」
嘘だろ? それじゃあまるで──
「ねぇ待って……血のなかに、マモルのスマホが落ちてる。なんだろう? イヤホンで何か聞いてたみたい……少し音が漏れてる」
「ダメだ! それを聞いちゃいけない!」
「どうして? マモルはきっと、これを聞きながら死んだのよ。マモルが最期に何を聴いてたのか、知っておきたい」
「ダメだ! それは……」
もはや何が現実かも分からない混沌の底で、東条アキラは絶叫した。
「死ぬほどダサいポップチューンなんだ!!」
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