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作家を志す青年、東条アキラは未だ訪れぬそれに想いを馳せ、それが訪れぬ事実に焦りを覚えていた。それとは即ち、作家や作家を志す者たちが口々に語る「キャラクターが勝手に動き出す」のことだ。
大学時代に執筆を開始した彼は社会人一年目となる現在までに四本の長編小説を書き上げているのだが、そのいずれにおいても件の現象は起こっていない。共に作家を志すインターネット世界の知人らが嬉々としてこの現象について語るなか、東条アキラはひとり取り残された心地がし、己の資質を否定された気がして酷く苦しんでいたのである。
彼の同居人である友人、木田マモルはある日、この問題についてこんな発言をした。
「書き続けてりゃ、そのうち起こるんじゃね?」
あまりの軽薄な態度に腹を立て、東条アキラはテーブルを叩いた。
「テキトウなことを言うな! 僕はそもそも、そんなことが本当に起こり得るのか疑問に思っているんだ。何を書くにしたって、それは自分の頭にあるものを外に出しているわけだろう? たとえば読んだこともない哲学書の引用はできないし、竜王も唸る見事な将棋の一手を指すことはできないんだ。それなのに勝手に動くだなんて言うのは、ただそう思いたいだけの勘違いとしか思えない!」
「じゃあそんなことはさっさと忘れろよ。不可能だってなら不可能なんだろ? 話はそこで終わりじゃねえか」
「でも、あんまりみんながそう言ってるから……」
「はあ? なんだよそれ。ブレッブレだな」
痛いところを突かれ、東条アキラは黙り込む。
話がひと段落ついたと見た木田マモルはそこで席を立ち、自室に引き上げ──ようとしたのだが足を止め、東条アキラを振り返った。
「でもまあ、音楽でもそういうのあるよな」
木田マモルはミュージャン志望のフリーター生活を送っていた。アコギ一本で弾き語りをしたり、バンド編成でギターボーカルを担当したりしている彼には作詞作曲の経験があったのだ。
「曲が降ってくる、とか言ってな」
その言葉が東条アキラに閃きをもたらす。
「それだ! 自分ではない外部から作品が生み出されるというのなら、それもきっと近しい現象だ! マモルはどうなんだ? やっぱり降ってくるのか?」
彼は椅子から身を乗り出し、鼻の穴を大きくして興奮気味に尋ねた。
「いや、オレは経験ないな」
「……それはがっかりだ」
「でも話はよく聞くぞ」と告げ、木田マモルは席に戻る。「キース・リチャーズは自分が曲を作るんじゃなくて曲が自分を見つけてくれるとか言ってたな。トム・ウェイツは確か……作曲というのは、生きた鳥を捕まえるようなもの。時には口いっぱいの羽根が残るのみ、とか何とか」
「待て。それはつまり、口で鳥を捕まえようとしたのか?」
「知らねえよ。まさにそう突っ込ませるウィットなんじゃねえの? 歌の話なんだから、案外おかしなたとえでもないだろ」
「なんにせよ、正反対のアプローチだな……音楽が自分に寄ってくると見るか、自ら捕えにいくか」
「こんな話もあるぞ。ポール・マッカートニーがある朝目覚めると、頭のなかでメロディが出来上がっていた。その完成度があまりに高いもんだから、ポールは既存の曲かもしれないと疑い周囲に確認を取った。だが誰に聞いてもそんな曲は知らないと言われた。それでようやく自分のオリジナルだと確信できたポールは曲を仕上げ、『イエスタデイ』が誕生した」
「へえ」
「寝てる間にできたってことはアレだろ? 無意識で作ったってことだ。そういう話でいいなら、オレだって直感的にメロディが閃くことはある。それが降ってくるってことなのかどうかは知らないが、メロディなんてむしろ閃く以外の方法が分からん」
「無意識か……それはあるかもしれない」
「お、突破口が見つかったか?」
「ああ。自分以外の何かを求めたのが間違いだったんだ。求めるべきはあくまで自分のなかのポテンシャルだったのかもしれない。無意識の創造力を解放することで、枠に囚われない発想を引き出す。しかしそれは無意識であるから、自分がそうしたようには思えない。それが『勝手に動いた』の正体だ」
「おお、それっぽいじゃねえか」
「いけるかもしれない。助かったよ、マモル」
今度こそ、それを起こすことができるかもしれない。東条アキラは微かな手応えを感じ、ぐっと拳を握りしめた。
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