僕のふるさとがなくなっちゃう

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僕のふるさとがなくなっちゃう

 その頃、青年は郵便配達の真っ最中、チビのふるさとCATへ郵便物を配達していた。  「郵便です」  青年はそう言い、CATの自動ドアを開け、オヤジにニ、三通の郵便を手渡した。オヤジと奥さんは店のカウンターに隣り合わせで座っていて、ふたりとも注がれた紅茶を飲みながら事務作業をしていた。  「おう、郵便屋さん、あれから猫の様子はどうだい」  オヤジは郵便を受け取り青年にそう言った。  店内には相変わらずたくさんの猫達が戯れあっていた。店内には客は一人もいなく、それはまるで猫達の住処のようだった。  「いや〜、もうどうもこうも無いっすよ。どうやら相当嫌われちゃったみたいで、まったくクローゼットから出てきてくれません」  青年が困り果ててそう答えると  「はっはっは、大丈夫だって。今日あたりそろそろお腹すかせてひょっこり出て来るからさ」  オヤジはそう言ってまた得意の野太い声で笑ってみせた。  「そうですかね。なんだかもうずっと出てこないような気がするんですけど」  青年が心配そうにそう言うと  「ところで名前はもうつけたのかい」  オヤジは青年の言葉は受け流し、青年に違う質問をした。  「すみません、まだ名前は決まってません。とりあえずチビ、チビって呼んでるんですが、その名前はイヤみたいで。今ちゃんとした名前考えてます」  青年が申し訳なさそうにそう言うと  「はっはっは、チビなんて名前で呼ぶから出てこないんじゃないか。まぁまぁそれは冗談として、そうか、ぜひ良い名前をつけてやってくれよ。それと突然で悪いんだがCATは早くても来月、遅くとも八月には事務所を埼玉の三郷へ移転することになったんだ。ここに残して行くことはできないんで、十五匹ほどの猫も一緒に連れて行くことにした。チビちゃんのお母さんも連れて行くことにしたから、チビちゃんのお母さんが行っちまっても、チビちゃんのお母さん以上にかわいがってあげてくれよな」  オヤジは注がれた紅茶を口に含み野太い声でそう言うと、カウンターにいた奥さんが続け様に  「良い名前つけてあげてね。チビちゃんのお母さんは行っちゃうけど、チビちゃんのお母さん以上の愛情を注いで育ててあげてね」  オヤジと同じようなことを言っていたが、青年にそう伝えた顔はオヤジとは打って変わってかわいらしい表情だった。  「そうなんですか。事務所移転しちゃうんですか。チビのお母さんいなくなっちゃうんですね。チビのふるさとが無くなっちゃうんですね」  青年はとても心配な顔でオヤジ、奥さんにそう言うと  「大丈夫。猫は人間に飼われて、それに慣れて行けば産んだ母親のことなんて忘れちまうもんだよ。そんなもんなんだよ」  そう言ったオヤジに、いつも豪快な野太い笑い声は無かった。どこか寂しそうだった。  「店長さんの言う通りチビ絶対出てきてくれますよね。店長さん、奥さん、わかりました。僕が全力でチビを育てて行きます」  そう言うと青年はCATを後にし、次の配達先へと向かった。 (名前か、チビが僕の前に現れくれて、なついてくれたなら、とっておきの名前をつけてやろう)  
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