ラスト・ダンス

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 梅の花がほころび始めたある日のこと、もうあまり苦痛でなくなった「お茶会」で、スタッフが今度やる催し物の説明をし始めた。入所者の中には手芸や書道や俳句や、色々な趣味を持っている方がいる。どなたかに講師になってもらって、みんなでレクリエーションをしよう、と言うのだ。いつもハギレで何かしら作っている渡辺ばあさんがもじもじしながら手を挙げようとしているところを制して、甲高い声を張り上げたのは俺と同室の飯尾じいさんだった。 「絹子さんがいいよ。絹子さん、社交ダンスの先生だったんだから。」  俺の知らないことをなぜ知っている、しかも下の名前で呼んで、とじいさんを軽く睨んだが、相手はこちらに気付かず涼しげな顔だ。絹子さんは、少し恥ずかしそうに顔を赤らめている。スタッフは絹子さんが所に馴染むの恰好の機会ととらえたようで、講師役は絹子さんにあっさり決まった。ここで踊ってくれというじいさん達のしつこいリクエストに、彼女は「最近踊ってないから…」とためらいながら、広間の空きスペースに一人立った。  彼女の腕が中空のパートナーを抱いた。ゆっくりとステップを踏み、何度かターンをしたり軽く胸をそらしたりした後観客に向き直り、優雅に礼をした。
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