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十二月十三日、七時四十五分。「行ってきます」と紗奈が母さんに向かって言った。今日の紗奈の格好は、薄いピンク色のコートに、中はボルドーカラーのニットワンピースか。いくら制服があるとはいえ、会社に行くのに随分とお洒落だ。前髪もしつこく撫で付けているのは、今夜のイベントで今から緊張しているからだろう。
「おい、定期券忘れてないか」
僕の声かけに、紗奈が「あっ定期」と部屋に定期券を慌てて取りに戻った。
「いけないいけない。じゃ、今度こそ行ってきまーす」
「いってらっしゃーい」
「気を付けてな」
僕は母さんとほぼ同じタイミングで紗奈に声をかけた。バタバタと大きな音をたてて紗奈が家から出ていくと、家の中は急に静かになる。
「紗奈から、今日の夕飯どうするのか聞いてる?」
紗奈の食器を片付ける母さんに聞いてみると、母さんが遠い目をして呟いた。
「……そういえば、今日は遅くなるって言ってたな……なんでだろ」
紗奈が遅くなる理由を、母さんは聞いていないようだ。やはり年頃になると親には言いにくいのかな。兄である僕には、昨日こっそり教えてくれた。
紗奈は今日、憧れの先輩とご飯を食べる約束をしているのだ。同じ会社に勤める三歳年上の、確か、片桐先輩と呼んでいた。「お兄ちゃんに、ちょっとだけ似てるんだよ」とスマホの写真も見せてくれたが、なかなかの好青年だった。僕の方がいい男だと思うけどな。
僕の予想では、何事も無ければ恋仲になれると思う。
時計をみると、紗奈が出てから五分が経っていた。僕もそろそろ行かないと。
「僕もちょっと出かけてくるね」
掃除中の母さんに声をかけてみたが、反応なし。掃除機の音で聞こえなかったのか、それとも定職もつかず、未だにフラフラとうろついてる長男は無視なのか。
母さんには悪いと思っているが、僕にはちゃんとした仕事がある。
それは、紗奈のボディガードだ。
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