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今日の業務もそろそろ終わりに近づいた頃、いつもは冷静沈着な紗奈がソワソワし始めた。耳元の髪のハネを撫でつけたり、腕時計をこっそり覗いたりしている。
仕事が終わったら片桐君と夕飯を食べに行くから、ドキドキしているんだ。
昼休憩の時も、片桐君と紗奈は自販機の前でさり気なく今夜の話をしていた。仕事が終わったら会社の受付前で落ち合おうと言っていたから、片桐君も紗奈も、これからの関係を誰にも隠すつもりはないらしい。可愛い紗奈を狙う男性社員も多いから、片桐君も早めに先手を打ちたいのだろう。
後五分で業務終了となる時だった。弥子世が、急にめそめそと泣きながら紗奈に近づいてきた。
「山内さぁン、どうしよう、あたし、あたしぃ……大変な物を無くしちゃったのぉ……」
「どうしたんですか?」
「部長に渡すはずだったUSBを、どこかに落としちゃったみたいで……今日中に渡さなきゃいけなかったのにぃ」
泣き声の割には頬も濡れていない。なのにお人好しの紗奈は簡単に信じてしまい、ええっと驚いている。
「大変! 私も一緒に探しますよ!」
「いいの? 山内さんありがとうっ! でもあたし、これから、入院してるかもしれないおばあちゃんかおじいちゃんのお見舞いに行かなきゃいけないの……」
「じゃあ私、探しておきます! 今日どこで落としたのか、心当たりがあったら教えてください」
ああ、僕が表に出て良いのなら、すぐさま「その子の言う事は嘘だ」と言えるのに。
紗奈の言葉で、ハンカチで顔を隠していた弥子世の口元がニンマリと笑みを浮かべたのを、僕は見てしまった。
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