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「夢を見たの」
私に言ったのか独り言なのか判別できない小さな声で、母は言った。
「お迎えが来たわ」
ガンが進んだ母に残された時間は、長くてあと数週間だと医師が言っていた。
「……水、飲む?」
「音楽がいい」
「CDでもかけようか」
「ショパンの」
「了解」
子どもの頃、ピアノを習っていた母は、今でもクラシック音楽を聴くのが好きだ。特にショパンの幻想即興曲を好んでいる。
CDの棚とプレーヤーは母の寝室に移動済みだ。寝たきりになってから、本当によく使うようになった。幻想即興曲は昨日も聴いた。プレーヤーで4曲目を選んで再生ボタンを押すだけで、あの調べが流れてくる。
幻想即興曲は、あまりハッピーな曲ではないと思う。世の無常と愛の儚さを知る曲だ。
「この曲、弾いたの」
「うん」
「クリスマス、に」
「うん」
「発表会、で」
「うん」
これは母が中学生の頃に参加したクリスマス発表会の話題だ。ピアノを辞める直前の発表会で、大好きなショパンの曲を弾かせてもらえたらしい。
症状が進行し、会話の速度は極端に落ちてきた。ただし周囲の音は拾えているらしい。寂しい気持ちにさせたくないから、しつこいくらいに相槌を打つ。
「あーたも、弾いたね」
「うん」
あなた、と言えなくなった母は私を「あーた」と呼ぶ。私も子どもの頃はピアノを習っており、幻想即興曲を弾いたことがある。という話に移った。
「なつかしい」
「うん」
「あーたも、弾いてよ」
「うん」
「ね」
「うん…うん?」
うん、しか言えない私は、いつのまにかピアノの演奏を聴かせる約束を交わしてしまっていた。
ピアノに向かうのなんて何年ぶりだろう。白い埃を拭い、鍵盤の蓋を開けた。2階で寝ている母の体に障らないよう、音を消して弾いてみる。うちのピアノには消音機能がついており、ヘッドホンで音を聴くことができるのだ。
鍵盤、こんなに重かったっけ。中学生の頃は軽々と弾いていたはずなのに。自分の老いまで思い知らされるとは。
幻想即興曲の楽譜はすぐに見つかった。楽譜の類はまとめてピアノの上に置いたまま、ずっと放置してきたからだ。楽譜を開けば、当時のおびただしい書き込みが飛び出してくる。ピアノの先生はレッスンの度に違う色鉛筆で指示を書き込んでいた。
試しに弾いてみると、悪くない。幻想即興曲は、速いパート、ゆっくりのパート、速いパート、速いパートの4部で構成されている。ゆっくりのパートはすぐに弾けるようになった。
4歳から15歳までピアノを弾いていたのだ。自転車と同じで、体が覚えている。
中学生の頃、1曲を弾き終わると母は何も言わずに必ず拍手をしてくれた。褒めるわけでもなく、悪いところを指摘するわけでもなく、ただ拍手をくれた。バチンバチンと、台所からピアノのあるリビングまで届く拍手を。今はもう聞けない拍手を。
ピアノに夢中になってしまい、はっと気づいたときには西陽が差していた。母との会話から何時間が経ったのだろう、容体は大丈夫だろうか。
2階の寝室に行くと母は眠っていた。比喩ではなく本当に眠っているのだが、あまりに静かに眠るので、こちらの心臓に悪い。冷たいけれど何とか人肌の温度を留める右手に触れる。眠っているだけであることを確認するまで生きた心地がしない。
その昔は鍵盤の上を元気に跳ねていたはずの手。骨と皮だけになり、力を込めて握れば折れてしまいそうだ。
あとどれくらいの時間が残されているのだろう。幻想即興曲の速いパートの練習は、間に合わないような気がした。
次の日も、その次の日も、幻想即興曲の練習をした。ピアノには意外な面白さがある。昨日より上手くなった日もあれば、昨日より下手になったと感じる日もある。
音楽の偉大さも日々深く沁み入ってくる。歴史に残る名曲は色褪せないばかりか、疲れをも癒やしてくれる。自分の指先がこのメロディーを奏でていると思うとうっとりしてしまう。なぜ中学生で辞めてしまったのかが不思議なくらい、ピアノが楽しく感じられた。
1時間ほど練習したら、寝室の母の様子を見に行くのが定番になっていた。今日も静かに眠っている。はずだった。
母は苦しそうに顔を歪め、小さく唸り声を出していた。
「お母さん!お母さん!薬!薬は!」
胸の中に冷たいものが広がり、手は大きく震え、薬をうまく取り出せない。頭は真っ白になった。
「少し待ってて、今、医者を呼ぶから」
震える手で痛み止めを飲ませ、病院に連絡した後、薬局でもらった薬の袋を握り込んでいることに気づいた。空になった薬袋のシワを伸ばせば、「頓服薬 森山佳奈子様」と書かれている。
簡素なものだ。今まで色々な治療を試してきたのに。最後は痛み止めで苦しみを遠ざけることしかできない。
そのとき、母が口を動かしているのが見えた。
「きかせて」
声にならない声がそう言っている。母は、私が「あーたも、弾いてよ」を真に受けて、練習しているのを感じ取っていたのだ。
医師が到着するまで少し時間があるだろう。羽のように軽くなった母を抱え、ピアノのあるリビングへ向かった。
つたない演奏を披露してから1週間も経たない内に、母は息を引き取った。穏やかに晴れた日のことだった。
遺品の整理は手際良く進んでいる。母がこの世にいないことを思い出さないために、手を動かしていなければならなかった。
次が最後の引き出し。しかし中で何かが引っかかっているのか、引っ張っても動かない。
隙間から手を差し込み、引っかかっているものを外したら、引き出しはスムーズに動くようになった。引っかかっていたのは、1枚のレコードだ。
レコードを入れる厚紙のケースは、無地の白で地味だった。買ったものではなさそうだ。売り物だったら、歌手の顔写真でも大きく印刷されているだろうから。
厚紙のケースからレコードを取り出してみる。レコードの真ん中には、こう書かれていた。
稲本佳奈子
ショパン 幻想即興曲
どれみ教室 クリスマス発表会
合点が行った。瞳の潤いが視界をぼんやりさせる。
このレコードには、中学生の母が参加した発表会での演奏が録音されている。
もしもレコードを再生したら、私が知らない母の幻想即興曲が聴こえてくる。ピアノが弾けなくなっても、肉体が朽ちても、母の演奏は永遠だった。
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