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魔術師たちは誤っていた。天使が魔族を喰らうことで、魔族の本能すらも引き継ぐことに気付いていなかった。結果、魔族を喰らった天使は周囲のあらゆる生命を喰らい尽くす存在となり、それのみか、大量の卵を産むようになった。
父と少女エルザの死を悲しむ間もなく、村はその日から異形の天使の襲撃に脅かされることになった。既に森中に天使の卵がばら撒かれていたらしい。卵は数日の成熟期間を経てから孵化し、中から白くて大きな芋虫のような幼体が生まれる。芋虫は積極的に小動物を捕食し、脱皮を繰り返して次第に成長し、ついには大型動物まで捕食するようになる。その段階で増殖が可能となるのだ。
私は毎日森に入っては卵を壊し、芋虫を潰し、時には天使を射殺した。森で天使を狩ることができるのは私だけで、絶望的なまでに人手が足りなかった。
王国全土で、天使たちは猛威を振るっていた。魔族の国も壊滅したらしいが、私にとってはもはやどうでも良いことだった。
後継者を作る必要を私は感じていた。私は老いた。あの日、父を喰った天使を殺してから、もう三十年近くになる。終わりなき戦いに消耗した私の髪は白くなり、歯もほとんど抜けてしまった。
唯一の望みは、娘のアガーテだった。私が三十歳の頃に生まれた娘は、物静かで控えめな性格をしているが、射撃の腕前と狩猟のセンスは私を凌駕するほどだ。まるで、私の父の生まれ変わりのようだった。妻を天使に喰われ、その天使を仕留め損ねた後、しばらく意気消沈してしまった私に代わり、アガーテは進んで森に入り、見事にその天使を撃ってくれた。
五百体目の天使を撃ったら、私は引退をしようと決意した。既に森を歩くだけで疲労感が募るようになっていた。
私はその日、ついに五百体目を仕留めた。そのせいで気が抜けてしまったのか、私は背後から近づく天使に気付かなかった。私は右腕を食い千切られた。直後、アガーテが駆けつけてその天使を撃ったが、天使は眉間を撃たれたにもかかわらず死ぬことはなく、森の奥へ逃げ去って行った。
娘の力を借りて荒廃しきった村になんとか帰りつくことができたが、私はその後一週間昏睡状態に陥った。ようやく目覚めた私は、アガーテに私のライフル銃と、青い鳥の羽根飾りのついた帽子を無言で与えた。
私の意志を理解してくれた娘は、帽子を受け取るとすぐに頭に被り、そして銃を手にして外へ出ようとした。
「もう今日は日が暮れる。やめておいたほうが良い」
しかし、私の心配を余所に、アガーテは静かに首を左右に振った。
「でも父さん、あの天使は父さんの右腕を食べたでしょう? それなら、たぶん今頃あの天使は父さんの顔になっているはずよ。父さんの顔をした天使が生き物を食べ散らかす光景なんて、想像したくもない」
確かに、それはその通りだ。だが……
「お前は以前、母さんの顔をした天使を撃った。その上父親の顔をした天使を撃たせたくない。俺も昔、お前のおじいさんを喰った天使を撃った。あの時の悲しさは……」
結局、私は憧れた父のようにはなれなかった。父は村を守ったが、私は村を守れなかったのだから。これほどまでに荒廃してしまった村など、滅んだも同然ではないか……
まとまりのない私の言葉に、アガーテは滅多にないことに、不敵な表情を浮かべた。
「大丈夫、母さんは死んじゃったけど、父さんはまだ生きているわ。これからも父さんが一緒だと分かっているから、なんの躊躇いもなくあの天使を撃てると思う。それにね」
アガーテは帽子を被り直し、冷静な表情のどこかに照れを隠しながら、呟くように言った。
「憧れの父さんに、一歩でも近づきたいから」
言うなり、娘はライフル銃を担いで、宵闇の迫る森へ向けて脇目も振らず走り去った。
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