憧憬のエンゲルイェーガー

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 転機となったのは、私が二十歳になった時だった。その日、村に従卒を連れた一人の将校がやってきた。彼は甲高い声で言った。 「我が王国は東方の魔族たちの侵攻を受け、未曾有の危機にある。軍は射撃技量に秀でた健康優良なる男子を欲している。猟兵として志願する者はいないか。志願した者は王国軍最精鋭たる猟兵連隊に配属され、除隊後は森林官補として禄を得るであろう」  村に若い猟師は私一人だった。必然的に、私が志願することになった。出発する前夜、父は滅多にないことに酒を飲み、そして就寝時には私を呼び寄せて、幼い頃と同じように抱き合って寝た。私には、父の気持ちが痛いほど分かった。母は既になく、子は私だけ。戦場にいけば十中八九命はない。  私は翌朝、日が昇る前にそっと寝台を抜け出し、前夜に纏めておいた荷物を持って村を出た。道を進み丘に登って、ふと村の方を振り返ると、薄靄の中に人影が見えた。私はそれを、父だと確信した。  戦場は、予想に違わず過酷だった。私は猟兵として主に敵の指揮官の狙撃に従事した。軍から支給された銃は、高性能のライフル銃だった。ライフル銃の有効射程はマスケット銃のそれの十倍以上もあった。  王国軍は私たち猟兵連隊の活躍もあり善戦したが、魔族たちは遥かに強大だった。赤紫色の肌をし大きな体格を持つ彼らは、並のことでは死なない。頭部、特に眉間に、鉛ではなく銀で出来た弾丸を正確に命中させなければ、彼らは即死しなかった。  兵士でありながら、私たちは魔族を恐れた。単なる敵ならば、そこまで恐れる必要はなかったが、しかし魔族はあらゆる生き物を、特に人間を好んで喰らうのだ。  また、魔族は繫殖力が高かった。その数は常に多く、常に増え続けた。たとえ魔族の一個軍団を壊滅させても、さしたる損害にもならないのが常だった。  私は戦争の最後の年に、それまで多数の敵を狙撃した功績で勲章を授けられたが、その頃には戦線は崩壊し、王国の滅亡は時間の問題となっていた。  ここで、奇跡が起こった。突如として魔族に「天使(エンゲル)」呼ばれる白い軍勢が襲い掛かったのだ。無論、本当の天使ではない。それは王国の魔術研究団が開発した、人工的な生物だった。天使たちは王都防衛戦にて初めて投入され、瞬く間に魔族の軍勢を四散させた。  絶体絶命だった私たちを救った天使たちだったが、その姿は天使らしからぬものだった。天使たちは魔族をそっくりそのまま白く塗り替えたような容姿をしていた。背には白鳥のような純白の羽、肌は病的なまでの青白さ、そして目には瞳がなかった。  戦いの後、たまたま魔術師から話を聞く機会があった。彼は得意げにこう語った。 「天使には二つ特徴がある。それは成長と増殖だ。つまり、我々がいちいち一から製造をしなくても、彼らを野に放つだけで自動的に増えていくのだ。そう、魔族共のようにね。とりあえずすべての町と村に天使を送る予定だ。その次は奴らの本拠地に送る。数年もすれば、魔族の国は天使の国になっているだろうよ……」  私はその言葉を聞いて、一抹の不安を覚えた。確かに、あの天使たちは魔族たちを一方的に殺戮する力を持っている。その点だけを見れば、神の軍勢といっても良い。  しかし一方で私は、天使たちに恐れにも似た何かを感じていた。私は戦いの中で、一体の天使が魔族を殺す光景を目撃していた。  天使は目から黄金色の光を発するとそれで魔族を動けなくし、そして普段は皮膚の下に隠されている大きな口で、敵を一呑みにする。魔族が上げる断末魔の悲鳴。その後に続くボリボリという骨を砕く咀嚼音。それがしばらく続いた後、天使の姿が変わり始め、数分後にはさきほど食らい尽くした魔族そっくりになっていた。  私は魔術師に言った。 「あの天使たちは、本当に魔族しか襲わないんだろうな? 人間を襲ったりはしないだろうな?」  私の問いに対して魔術師は、鼻で笑いながら答えた。 「そんなことはあり得ないな! 魔族を襲い、魔族を食らい、魔族の姿と能力を引き継いで、かつ増殖するというのが、設計の基本理念だからな……」  戦争はその後数か月もしないうちに終結した。魔族たちは王国から駆逐され、本国に逃げ帰って行った。私たち猟兵の招集もほどなくして解除となった。  王国全土にばら撒かれた天使たちは、どうやって回収されるのだろうか。そのような疑問を抱きつつ、私はライフル銃と勲章と、森林官補の任命状を手にして村に帰った。
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