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序章
漆を流したような闇の中、ふわりと蛍が舞う。
小さく弱々しい光はまるで血のように赤い。
かごめ かごめ
かごのなかのとりは
いつ いつ でやる
しんと静まった闇に響く、幼い子供の声。
蛍はふわりと赤い弧を描き、高く飛んでやがて闇に溶けた。
藍色の空に薄墨色の雲をかぶった三日月。
薄雲に覆われた空に星は見えない。
綺麗に整えられた生け垣が並ぶ街並みにぽつりぽつりと一定の間隔で街灯の青白い光が寂しげに往来を照らす。時刻はそろそろ深夜に近い。
角を曲がれば大きな小学校があるが人の往来はない。
「くっそ、逃げやがった」
住宅街の中にある少し広い通りで荒い息の混じった男の声が響いた。
駅からもそう離れていないのだが人も車の往来もなく静まり返っている。
並ぶ住宅のどれもが固くドアを閉ざし、窓には分厚いカーテンを引いて外に光が漏れることはない。
遠くで救急車のサイレンが聞こえるが騒ぐ者もなく静かだ。 どこにでもあるような住宅街が広がっている。
「あいつ、どこへ行った?」
忌々しげに周囲を睨むのは二十歳そこそこの青年だ。
涼しげな水色の開襟シャツに黒いデニム。肩幅に開いた膝に両手をついて体
を折り、額に汗を浮かべ肩を揺らして荒い息を繰り返している。
遅れて現れたのは黒いスーツ姿の三十代半ばぐらいの男。こちらは汗一つ浮いていない涼しげな顔だ。ひやりと冷たい射干玉色の目で鋭く辺りを伺っている。
「京介、あっちだ」
と男が指し示す先を見るとぽつんと立つ十代初めの少年の姿。
道路の真ん中に濃い藍色の童水干に灰鼠色の指貫、長い黒髪を緩く一つに束ねて背中に流した少年が立っていた。否、その足は地面についていない。ふわりと地面から一メートルほどのところで、まるで磁石が反発するように空中に浮き上がっている。
「見つけたぞ、化け兎。さっきからちょろちょろ逃げ回って……こら! 待て!」
「化け兎とはあんまりだね」
化け兎と呼ばれた少年は白兎のような赤い目を細め、捕まえようとする青年
の手をひらりひらりと軽々に躱し無邪気にころころと笑う。
「赤いお目々の化け兎だろうが、大人しく捕まれ」
「簡単に捕まったら鬼ごっこにならないじゃないか」
伸ばした青年の手を蹴ってひときわ高く浮かび上がって二人を見下ろす高さでぴたりと止まって、楽しそうにころころと笑う。
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