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千尋の広げた掌の上にはどこから現れたのか赤と黒い折り鶴が載っている。
口をすぼめてふうっと息を吹きかけると生きているようにゆるりと首を振り、羽根をばたつかせる。
幾度か羽根をばたつかせ舞い上がると、空中にくるりと円を描いて高く飛ぶ。
かごめ かごめ
かごのなかの とりは
いつ いつ でやる
闇に溶けるような子供の歌声。
三人の周りを飛び回る赤と黒の折り鶴。
まるで生きているかのように羽をばたつかせふわりと飛ぶ。
「彩芽?」
童水干の千尋に名前を呼ばれるが赤い目が怖くて、無意識に一歩、退く。
「京介、もう逃がすなよ」
返事の代わりに肩をすくめ、人差し指と中指を立てて唇に指を押し当てる。
甲高い笛のような音。周囲の音が幕を張ったように遠くなる。結界だ。
彩芽の前を飛ぶ赤い折り鶴がとろりと闇に溶けた。
刹那、大きく膨らんで形を変え、空気を震わせて近づいてくる。
不自然に盛り上がった手足、額には鈍く光る角。
全身に血を塗ったように赤い鬼が現れた。
鋭い爪が顔をかばった彩芽の手の甲を薄く傷つける。
「――!」
彩芽は声にならない悲鳴を上げて立ち尽くす。
鬼は啓一郎が瞬きほどの間に近づいて上から下へ薙いだ。
頭から胴体を真っ二つに切られて金臭い匂いをだけを残して音もなく闇に溶けた。
鬼の代わりに地面に真っ二つになった折り鶴が転がる。
大太刀を手にした啓一郎はいつもの無表情はどこへやら、冷たい笑みを浮かべている。彩芽は違う意味でひんやり涼しくなった気がする。
大きな鎌なら死神だが、その手にあるのは一振りの大太刀。
――刀を持った死神だ。
そんなことを考えていることが知れたら啓一郎に視線だけで瞬間冷凍されてしまいそうだ。
「鬼の前に突っ立って、喰われたいのか?」
全てを凍り付かせてしまいそうな啓一郎の笑顔。
整っているだけに怖い。
彩芽は勢いよく首を振る。
手の甲の切り傷が恐怖心を増す。
足がすくみ動けない。
「彩芽」
射干玉色の目で見られ冷たく名前を呼ばれるが、動けないものは無理だ。
「啓ちゃん、無理だ」
「怪我して使えない奴は黙ってろ」
京介の声をぴしゃりと遮って彩芽を冷たく見る。
一気に気温が下がった気がする。
「さて、どうしたものか? これは本来芦名の仕事だ。彩芽が解決するか彩芽を喰った千尋を狩ればいいのか、どちらを選ぶ?」
啓一郎の手には抜身の刀、鈍い光。冷え冷えとした顔は笑っている。
鬼とはいえ子供の顔の千尋より啓一郎の方がはるかに怖い。
「能力があることを示さなければ飼い殺しにされるだけだが、それで良いということか? 『上』が欲しいのは駒だ。使えない奴はいらん」
啓一郎は冷たく口元の笑みを深める。笑えば笑うほど怖すぎる。
「彩芽は俺らみたいにはなりたくはないだろ?」
「どういう意味よ?」
畳みかけるような二人に何を確認すればいいのかすら分からない。
「そのまんまだ。そうならないように婆は彩芽を仕込んだんだろ? 忘れたか?」
ふわりと地面を蹴って千尋が空へ舞い上がり白い手が彩芽に伸ばされる。
「そうやって彩芽をいじめる。彩芽、おいで」
怖いはずなのになぜか懐かしい。心の隙間に響くような千尋の声。
懐かしさに思わず手を伸ばしかけて彩芽は我に返って首を振る。
――嫌だ。
「嫌われたようだな。お前も諦めが悪い」
啓一郎が鼻で笑い。伸ばした千尋の腕をばっさり斬り落とし、地面にべしゃと音を立てて湿った塊が落ちる。
「――――!」
短い悲鳴を上げ、両手で口を覆って悲鳴をかみ殺す。
目の前の光景に彩芽は気が遠くなる。
そこに転がるのは間違いなく人の腕だ。
まるでトカゲのしっぽのようにのたうち回っている。
それは一呼吸ほどの間をおいてふわりと金臭い匂いを残して闇に溶けた。
血の匂いに彩芽は声も出せず、喉の奥からせり上がってくるものを押さえつけるので精いっぱいだ。
苦しむ彩芽の前で千尋は顔色一つ変えずに体を二つに折り曲げて腕をぐっと抱え込む。
「彩芽を驚かせてひどいね。痛いじゃないか腕を斬り落とすなんて乱暴な」
ころころと鈴の鳴るような声は痛がっているようにはとても見えない。
ややあって抱え込んでいた腕が生えた。比喩ではない。
断面から指先に伸び上がるようにして元通りになる。手の感触を確かめるようにぐっと握って、掌を開く。
そして彩芽を見て嗤う。
気持ち悪さに悲鳴すら上げることを忘れてしまいそうだ。
「首を刎ねるか、手足を切って体をバラバラにしない限り鬼は再生する」
――化け物、まるでゲームの世界だ。
「彩芽」と、千尋は目を細めて懐かしい声で呼ぶ。
この声が母を呪うことを教えた。
「さあ、どうする?」
啓一郎の畳みかけるような声に体が震える。怖い。
「大丈夫だ。彩芽ならできる」
京介が涙目で首を振る彩芽を見る。
――見られても無理だ。怖い。
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