第三章 側仕えは音楽の意味を知り、嫌われ貴族は人々の心に奏でよう

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 私は護衛騎士のブリュンヒルデを連れて廊下を早足で進む。  家族から剣の才能が無いと言われて傷付かない子供がいるものか、と領主に対して怒りがあった。 「エステル殿、シルヴェストル様のことは放っておいた方がいいですよ」  ブリュンヒルデが当たり前のように言うので私は聞き返す。 「どうして? 泣いてたのよ?」 「アビが私たちに言い含めているのですよ。シルヴェストル様の身に危険が及ばないのなら放っておけと」  信じられない言葉に立ち止まる。  まさかあの食べ方も誰からも注意されないのか。  そんなことが続けば、いつかあの子が恥をかくのは目に見えている。  だが彼女から出た言葉も想像を超えるものだった。 「それに正直に言うと、わがままが過ぎますので、私としてもあまり関わりたくはりませんね。領主が優秀なのに、弟があれでは汚点になってしまう」 「ブリュンヒルデ、あなた……」  まだ子供のうちから決めつけるのが早過ぎないか。  誰もまともに指導しないのに、才能どころではない。  ブリュンヒルデの常識がここでは当たり前でも、それを見過ごすことなんてできない。 「なら私だけで行くわ。それとフマルを呼んできてもらえる?」 「側仕え殿ですか? なるほど、それはいい考えかもしれませんね」  ブリュンヒルデの言い方に引っかかる。 「あの側仕え殿もあまり評判はよろしくないですが、同じくはみ出し者ならもしかすると気が合うやもしれません」 「はみ出し者? それはフマルのことを言っているの?」 「ご存知ではないのですね? 貴族院時代では落第生で、何も取り柄のない女性とみんなが噂してましたよ。下級貴族なので珍しくはないですが、それ以上に彼女は──」 「もういい!」  思った以上に強く言葉が出た。  ブリュンヒルデが目をパチパチと瞬き、まるで何か怒るところがあったのかと疑問の顔をしている。  身内を貶められて気分がどんどん悪くなる。  色々と親身に相談に乗ってくれる彼女の何を知っているのだ。  さらにブリュンヒルデの言葉は私の怒りをあげていく。 「エステル殿が良ければ、私の側仕えもしばらくすれば呼べると思いますので何人かを──」 「結構です!」  頭の痛くなる会話にこれ以上は聞いていられない。  フマルも自分で呼びにいくことにして、ブリュンヒルデとは別れた。  フマルを連れて、ムカムカしたまま領主の弟であるシルヴェストルの部屋へ向かった。 「どうしたの、エステル? すっごい顔が怖いよ?」 「ちょっとね。ブリュンヒルデが……ううん、何でもない」  あんなことをこの子に聞かせたくない。  だがフマルは勘が良いのを忘れていた。 「もしかして、私の悪評聞いちゃった?」  ここでもまた私の正直な表情のせいで、フマルに気付かれてしまう。  だが彼女は特に気にしていない様子で笑っている。 「あはは、私がやったタネだしね。ごめんね、エステルに変に気を回しちゃって!」  嫌な噂が流れて平気な子なんていない。  いつだって場を和ませる彼女が一人で苦しむ姿を見たくはない。  彼女の肩を抱いて、彼女の目をジッと見る。 「フマル、もし変なこと言ってくる人いたら言ってね。私がぶっ飛ばす」  フマルは固まったと思ったら、息を吹き出した。 「エステルって本当に頼もしいね。ありがとう。その時はお願いするよ」 「うん!」  フマルの噂がどんなものかは知らない。  だがそれを知ったからといって態度を変えようとなんて思わない。  フマルに案内されてシルヴェストルの部屋の前にたどり着く。  扉を守る女性の騎士に入室の許可をもらおうと近づく。 「すいません、シルヴェストル様と──もしかして、カサンドラさん?」  尋ねた私は見覚えのある顔に戸惑った。  レーシュと会う前に農村で出会った貴族様だ。  褐色の肌をしており、髪を短く揃えている。  美人だが気が強い女性であり、大きな目が私へ微笑んでくる。 「久しぶりだな、エステル」  彼女も覚えてくれたのが嬉しく、私は彼女に抱きついて再会を喜んだ。 「ここにいたんだ! 急にいなくなるから──あっごめんなさい! 左腕が痛むよね?」  私は慌てて離れると、彼女の左腕に驚く。 「左腕が……ある?」 「ああ、といっても義手だ」  カサンドラが袖を捲ると金属の腕が見える。  重そうだと思うが、彼女は特にそんな素振りも見せずに腕を回す。 「エステルってカサンドラ様とお知り合いなの!?」  フマルはビクビクしながら私へ尋ねる。  それに代わりにカサンドラが答えてくれた。 「ああ、私の腕を失くした直後に彼女に救われてな。お礼もできず去ってしまったことが心残りだったんだ」 「ううん、気にしないでいいよ。あっ、騎士様だったんだよね? ごめんなさい、言葉遣いを──」 「いらん。恩人に敬語なんてされたらむず痒い」  それならこれまで通り話そう。  その時ここへ来た理由を思い出す。  事情を話してカサンドラへ入室の許可をもらえるか尋ねた。 「なるほどな。だからさっきから塞ぎ込んでおられたのか」 「うん、だから元気になってもらいたいなって」 「それは心配に及ばん。新しい楽しみがあればすぐにケロッと忘れる。それがこの方のいいところだな。無駄に引きづらない」  カサンドラの言い方は他の人たちと比べて優しく愛情あるものだった。  みんながみんな、避けているわけではないことに安心する。 「シル様、お約束したエステルがお見えです。稽古の練習をなさいますか?」  扉の外から呼びかけると、中でドタドタと音がしだす。  しばらくすると勢いよく部屋から飛び出てきた。 「稽古ではない! これは最強をかけた一騎討ちなのだ!」  食卓での沈んだ表情はどこへやら。  剣を掲げて、自信満々な表情をしている。  本当に楽しみがあれば元気になるようで微笑ましい。 「シルヴェストル様、では中庭で戦いましょうか」 「うむ。剣聖の力をとくと見せてもらおう」  中庭へ移動して木刀をお互いに持つ。  力を失ったとはいえ、子供に負けることはないだろう。  カサンドラが審判代わりに中央に立った。 「ではどちらかが参ったと言うか、この砂時計が落ちきった時が勝負の終わりとします。砂時計が落ちる前に決着が付かない場合には引き分けでよろしいですね?」  なるほどと頷く。  これならシルヴェストルが降参しなければ引き分けで終わるはずだ。 「砂時計が落ちきる前に終わらせてみせる!」  シルヴェストルは元気よく剣を上にあげる。  カサンドラの開始の言葉と同時に走ってくる。 「うおおお!」  やはりまだまだ剣の腕は子供の粋なので、今の私でも合わせることができる。  村の子供達と遊んだ時の記憶が蘇ってくる。  楽しそうにシルヴェストルが剣を振るので、私まで楽しく剣を打ち合うのだった。  決着が着く前に砂時計も落ちきったので、戦いは引き分けとなった。  その時、拍手の音が聞こえてくる。 「流石は剣聖殿、お優しくも子供に剣を教えてくださるとは。さぞかしお暇なのでしょう」  まるで馬鹿にするように言ってくる男は、私の護衛騎士のブリュンヒルデの兄であるトリスタンだった。  トリスタンも木刀を持っており、私へその剣先を向ける。 「お戯れの時間があるのなら是非ともひと勝負いかがですか?」  その目は明らかに友好的ではなく、私を倒そうとする敵意あるものだった。
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