第三章 側仕えは音楽の意味を知り、嫌われ貴族は人々の心に奏でよう

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 領主が去ったことでカサンドラが力を緩めてくれた。  体が軽くなったと思ったら、ひょいと肩で担がれる。 「ちょっと、カサンドラ!」 「怪我人は大人しくしろ。私が運んでやるからそれ以上傷口を増やさないようにな」  気遣ってくれるのはありがたいが、どうせ持ってくれるのならもう少し恥ずかしくない形で運んで欲しい。  ただわがままを言っている場合では無いので、私は彼女に体を委ねた。  部屋の椅子に座り、カサンドラが薬を取ってくる間に他のみんなもやってきた。 「大丈夫、エステル!」  一番慌てていたのはフマルで、私を見て絶句した。 「遠くから見えたけど、近くで見るとよりひどいね」  血を少し吐いたりしたせいで服も汚れ、さらには何箇所かは穴が空いている。  氷の針が刺さった場所の血が固まっているが、自分でも痛々しいと思う。  ふと、ブスッとした顔で不貞腐れているブリュンヒルデに気付く。  どうやら先ほど領主に怒られたことで、私に不満を持っているようだ。 「よくも騙してくれましたね。こんなことなら志願なんて──」 「ブリュンヒルデ!」  またもやぶつくさと言うブリュンヒルデにシグルーンが声を張り上げる。  やはり普段温厚な彼女が怒った顔をすると、私だけでなくブリュンヒルデもビビってしまうようだ。 「人によって態度を変えるのは護衛騎士として、また貴族として好ましくありません」 「貴女は嫌じゃないのですか! 貴族は平民の上に立つ存在です。剣聖の力の秘密を少しでも知れるかもしれないと思ったからこそ、私も下手に出ているだけです!」 「それなら、貴女はそれを得るためにどれほどエステルに尽くしたのですか? もしかして無償で貰う事が貴族の誇りだと思っておられませんよね」  シグルーンの反論にブリュンヒルデも言い返せない。  だがそれでも別の方面からまた切り崩そうとしてきた。 「貴女はいいですよ! 領主に可愛がられて、コランダム派にも関わらず一度は取り立てて貰えたのですから! 私は同じ派閥でも目に留めてすらもらえないのに」  前にシグルーンは領主の側近だったと聞いている。  コランダム系だとあまり重宝されないのかと思っていたが、どうにもシグルーンは領主から信頼されているようにも感じた。 「おやおや、戻ってみたら喧嘩かい」  カサンドラが瓶が入った箱を持ってきて、呆れるような顔をしている。  ブリュンヒルデはバツが悪そうに顔を背けた。 「エステル、君が一応は主君なんだから喧嘩を収めるのは君の仕事だぞ」 「はい……」  そうは言っても今の私では火に油を注ぐだけになりそうだ。  カサンドラは瓶の蓋を取った。 「フマル殿、その子の服を脱がしてくれ。全身に撒く」 「え!? 直ちに!」  フマルが私の服を脱がしてから、青色の液体を振りかけられた。  すると傷口がどんどん癒えていき、体は元通りになった。 「すごい……レーシュが前に使ったやつみたい」  回復薬とも言われるらしいが、貴族しか持っていないためその効能をこれまで知らなかった。  傷を塞ぐほどの効力に、もしかすると魔力が関わっているのではないかと思う。 「あの坊やなら持っていてもおかしくはないね。ただこれは一本で中金貨一枚は掛かるから、効果は比べられないと思うがね」 「中金貨!?」  あまりの大金に目が飛び出るかと思った。  効果はすごいがやっぱり値段も高いのだ。  突然貧乏性の私は不安に駆られた。 「カサンドラ、そのぉ、お金は待ってほしい。今はまだないけど稼いで返すから!」 「心配するな。これはシル様からの褒美だ」  私はキョトンとした。  何の褒美か分かっていない私に、カサンドラは説明してくれる。 「力を失っても果敢に攻める其方に感銘を受けていたよ。領主に反論しようとした時はハラハラしたともね」 「ハハッ……」  頭に血が上っていたので、また危ういことをしそうになった。  カサンドラが止めてくれなければどうなっていたか分からない。  フマルも手を腰に当てて私へ注意してくる。 「エステル、あまり無茶やめてね。もしエステルに何かあったらレーシュ様にも顔が立たないから」 「うっ……」  結局フマルの悪口を撤回させることができなかった。  力を失ったことがここまで歯痒いとは。  私は高価な回復薬をくれたシルヴェストルにお礼を言おうと彼の部屋に向かう。  カサンドラは少し領主に話があるらしく、私たちだけで先に向かった。  後ろから感じるブリュンヒルデの不機嫌さだけはどうにかならんものか。 「ブリュンヒルデ、そんなに嫌なら別に私の側にずっといなくていいよ」 「そうしたいですよ。でもこれ以上アビの心象を悪くはしたくはありません」  よっぽど領主の側で働きたいようだ。  ただこんな雰囲気では、フマルやシグルーンも息が詰まるだろう。  どうにかしないといけないが、なかなか答えが出ない。  ふと何か変なものが壁に引っ付いていた。 「何だろう、あれ?」  私が真っ先に気付いて、他のみんなも一斉にそちらに注目した。  人の足のようにも見え、まるで中から外へ出ようとしているように見えた。  するとシグルーンが真っ先に思い当たる。 「あのズボンや靴ってシルヴェストル様が着ていたものに似ているような……」  ──確かにあんなの着てた気が……。  呑気に眺めていた私たちは顔を見合わせて一斉に走り出す。  だがもうすでに穴から外へ抜け出し、私たちが窓ガラスから覗くと元気よく走るシルヴェストルの姿があった。 「まさかまたお一人で町へ下りるつもりで……」  シグルーンが手を口に当てて、顔を青くしている。  少しわんぱくそうだから、遊び心で下町に下りてもおかしくはない。  だが一番危ないのは彼が領主の弟というところだ。 「フマル! カサンドラを呼んで! 私は追いかけるから!」 「えっ、エステルが追いかけたら──」  フマルの静止の言葉を聞く前に私は走り出した。
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