第三章 側仕えは音楽の意味を知り、嫌われ貴族は人々の心に奏でよう

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 突然現れた赤い髪の男は私を知っているようだった。  残念ながら彼のことを覚えていないが、相手が強敵だということはこのナイフの投擲から分かる。  ズキズキと痛むので私は肩に刺さったナイフを引き抜いて地面に落とす。  グロリオサは下卑た笑いで私を見下していた。 「海の魔王を倒すほどの剣の腕前とは恐れ入った。だが今は力を失ったんだってな?」  先ほど領主の口からバレてしまったばかりなのにもう広まってしまったのか。 「どうして知っているの?」 「情報は暗殺の仕事じゃ命だ。城の内情だろうとすぐに手入れられるから俺の地位を不動にしているんだよ。そのナイフが刺さっているってことはお前の力は前ほどは無いのは証明された」  ナイフの刃先を舐めて、私へ敵意を剥き出しにする。  そしてゆっくりと手が顔をなぞっていく。 「お前に吹き飛ばされた顔が今でも痛むぜ。俺の男前の顔が少しばかり歪んでしまったからな。鏡を見るたびにお前に復讐したくて堪らなかったぜ」 「復讐って、私と初対面でしょ?」  私が問いかけると相手が無言になり、プルプルと体を震わせる。 「てめえ、俺のことを忘れたのか!」  指を指され、私と因縁がある様子だ。  しかし、私は暗殺者に恨まれるようなことをした記憶はない。 「ごめんなさい。レーシュの家を襲った人? 多すぎて覚えていないの」  あの時のレーシュの家に来る暗殺者は本当に多かった。  どれも大したことなかったため、記憶に残る人物がいない。 「あんな雑魚たちと一緒にするっていい度胸だな。わかった、お前はぶち殺し決定だ。あの糞坊っちゃん貴族にお前の辱められた姿を送ってやるよ」  ずっと汚い言葉を使うのは暗殺者だからだろうか。  子供の前で教育上よろしくないので、すぐさま片付けないといけない。 「ヴィーシャ暗殺集団、国に巣食う膿め!」 「待って、ブリュンヒルデ!」  私が止めるよりも先にブリュンヒルデがグロリオサ目掛けて攻撃を仕掛ける。  一歩も動かないグロリオサに剣が振り落とされた。  もしかしたら、やれる?、と思ったがそれは甘い考えだった。  目線は私に向けながら、ブリュンヒルデの剣先を手で掴んでいた。  グロリオサの力が強すぎて、ブリュンヒルデは動けなくなる。 「っけ! お貴族様のお遊戯が通じると思っているのかよ。これでもヴィーシャ三分衆の一人なんだぜ? オリハルコン級には及ばずとも、アダマンタイト級の俺がてめえみたいな雑魚騎士に寝てても負けるわけねえだろ」  言葉を残し、残像が表れたかのように見えた。  一瞬でブリュンヒルデの懐に潜り込んだため目が追いきれないのだ。  ブリュンヒルデの体に強烈な拳をぶつける。  パリッーンと何かが盾のように当たったのは魔道具が発動したからなのかもしれない。 「かはっ……!」  それにも関わらず大きく吹き飛ばされ地面に倒れた。  私でも破れなかった魔道具の盾を簡単に突破して見せたのだ。 「ゲホゲホッ」  痛みに悶絶しているブリュンヒルデを助けたかったが、常にこちらに意識を向けているグロリオサに隙を見せるのはあまり賢くは無い。  ヴィーシャ暗殺集団の中でも屈指の実力者なのは今の攻撃で明らかだ。  グロリオサは首を鳴らして、下卑た笑いをする。 「けけっ、弱すぎるぜ貴族の姉ちゃん」  グロリオサが倒れているブリュンヒルデに近寄るので、私はそうはさせないと剣を持って走る。  だがこれは相手の思う壺だった。 「やああああ!」  速さで戦おうとしたのが間違いだった。  グロリオサの体がまたもや消えた。 「華演舞!」  まるで分身を作ったのかと思えるほどの残像を残していく。  私の動体視力が動きに追いつけないのだ。  体の感覚に頼って、私は考えるよりも剣を振るう。  何度も強い拳から放たれる衝撃が剣を通して伝わる。  華演舞は速さを上げる代わりに力への集中が疎かになる技だ。  私も使っていたからこそ分かってはいた。  だが速さの乗った拳とは厄介だと初めて客観的にこの技の恐ろしさを知る。 「本当によえー。これがあの時の娘かよ!」  私が防戦一方で耐える姿が楽しくてしょうがないらしい。  余裕のない私と比べてずっとニタニタしているのが気に食わない。  だが少しずつ敵の動きに目が慣れてくる。  ──次は右から来るは……ッ!?  私の予想と反して敵の姿は目の前から完全に消えた。 「剣を通してお前の考えなんてすぐにわかったぜ」  後ろから声が聞こえ、私の背筋が凍る。  先ほどまでの動きは手加減をして私を弄んでいたのだ。  すぐに距離を取ろうとしたが、背中にグサッと鈍い痛みがいくつも広がる。  痛みが広がり、私は膝を付いてしまった。  情けなくも今の私では勝てる相手ではない。  痛みを我慢していると髪の毛を持ち上げられ、顔を無理矢理後ろに向けられる。 「たまんねえな。あの時の仕返しがこんな簡単にできるんだぜ? なぁ、もっと怯えた顔をしろよ? じゃねえともっと大変な目に遭うぞ?」  私から屈辱的な言葉をどうしても言わせたいようだ。 「死んでもごめんよ」  たとえ負けようとも心まで屈したくはない。  それに私はシルヴェストルを守りたい。  持っている剣に力を入れ直し、私は油断しているこの男の横腹ごと薙ぎ払う。  そのはずだった。  グロリオサの手の指が私の剣の腹を掴まえて微動だにしない。  どんなに押しても動かず、力も速さも敵わないのだ。 「なら拷問コースだな?」  ニタッと笑ったグロリオサの足蹴りが私を思いっきり吹き飛ばす。  何度も床を弾み、痛みで何度も気を失いかける。 「うっ……」  足音がどんどん近づいてくる。 「おい、てめえら! いつまで寝てやがる! 貴族のガキを捕まえろ! 役に立たないなら、てめえらもぶっ殺す! 何人かはその女の体を押さえろ。今から色々教えてやらんとな」  腕をポキポキと鳴らしながら私の方へ近づき、手下たちが私の腕を持って動きを封じる。  これから暴力の嵐が待っているに違いない。  グロリオサの手が私の顎を掴む。 「前よりも綺麗になったよな? あのお貴族様のおかげか? お前と分からねえくらい顔を歪めたら愛してくれるもんかね」  私の心へ直接攻撃を仕掛けてくる。 「あんたみたいなクズ男じゃ無いのよ、私の男は」  血がダラダラと流れるせいで少しずつ意識が朦朧としていく。  だがそれでも減らず口は叩ける。 「いいぜ、なら試してやるぜ」  相手の自尊心を傷付けたのだ。  これからひどいことが起きるだろう。  それでもこんな男に屈するよりはいい。  大きな拳が振り上げられた。 「エステルにそれ以上攻撃したら俺は死ぬぞ!」  声のする方へみんなの視線が集まる。  シルヴェストルがナイフを自分の首元に向けている。  涙を流し震えながらも真っ直ぐとグロリオサを見ている。 「ガキが大人を脅すんじゃねえ。てめえの噂も聞くぜ。何にも才能のないお前にそんな度胸が……」  シルヴェストルのナイフがゆっくりと自分の皮膚を突き刺し始め、じわっと血が流れていた。  すると舌打ちをしたグロリオサが私の顎から手を退けた。 「チッ、案外根性据わってるじゃねえか。いいぜ、楽しみは取っておいてやる。貴族の坊っちゃんにバレる前に殺しに行ってやるよ」  シルヴェストルが自分から付いていく。  暗殺者たちもリーダーが撤収を命じたことから部屋から出ていく。  残ったのは私とブリュンヒルデ、そしてシルヴェストルの友達たちだけだ。  血を流しすぎたせいで私の意識がふわっと飛んだ。
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