駄目教師は復讐する

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(十一)こんな仕事やってられるか!  こうして私は特別支援学校へやってきた。  だから、私は全く生気のない、やる気もない教師であった。その上に家庭科や図画工作もできないので何のやる気も起きなかった。 しかしなぜかここには五年間もいて、最初の卒業生を出した。  三年生を持った。私が最初で最後に持つ卒業生だ。三一年間も教師をやりながら、私は病気のために卒業生を出せずに来た。だから初めての卒業生であった。  そこで私は「よっちゃん」の担任を任された。知的障害であるが、会話が成り立たない。今までとは勝手が違う。よっちゃんの発する言葉は誰かの言ったことをそのまま言う、所謂「オウム返し」である。計算も二桁の筆算ができない。私は数字カードやおはじきを使って授業を行った。  とにかく、「よっちゃん」を指導することは出来なかった。そして事件が起こる。  美術の時間であった。学校の校歌を一字一字彫刻刀で彫って作っていくという作業をやっていた。よっちゃんには難しいと思った私は自分が彫刻刀を握って字を彫っていた。しかし、よっちゃんに何もやらせないというのは酷だなあ。勉強にもならないし---。と思ってよっちゃんに彫刻刀を握らせた、その瞬間であった。よっちゃんが手を滑らせて自分の指を切ってしまったのだ。血が噴き出し、体育の教師が慌てて止血した。  「よっちゃんごめん。」と言いながら保健室へ連れて行き、そして病院にも連れて行った。当然のことであるが、親が黙っていない。面談の時に散々言われた。  また、特別支援学校には「連絡帳」というのがあって、保護者と教師が毎日やり取りできるようになっていた。そこに何を書かれるか気が気ではなくなった。私はパニック障害の持病も持っている。朝の連絡帳を開くまで心臓がバクバクと音を立てるようになった。勿論、その親御さんはモンスターペアレントではない。ごく普通の人であったが、どうも私には不信を抱いているようである。そこで、保護者会の時に言ってはいけないことを言ってしまった。  「私は特別支援教育の免許なんか持ってないんです。世界史と英語の専門家なんです」  それは私の偽らざる心境であったが、ここで完全に駄目教師と思われたようである。まあ、実際に駄目教師なのだから仕方がない。  そして、私は修学旅行などの学校行事にも参加せず、何とか卒業生を送り出すことになった。これが最初で最後の卒業生であった。卒業式後に謝恩会が開かれ、よっちゃんと吉田君から色紙をもらった。その後二年間またもって休職し、行ったり休んだりしながら定年を待たずに教師を辞めた。こうして駄目教師の三十一年間が終わった。今は学習塾で細々と英語を教えている。収入はほとんどないが、退職金の切り崩しと、退職後にもらえるようになった障害年金で何とか暮らしてはいける。  こうして私は全てを失った。教師という社会的ステイタスまで失った。 (十二)駄目教師とは    教育困難校にいた時の校長は言った。  「教師は心身共に健康でなければならないと思わないか?」  全く思わない。心身ともに健康な教師は、いじめられている生徒に「もっと強くなれ」と指導していた。最低である。こんな言葉だけで強くなれるのならいじめられてなんかいない。  教師が精神を患っているからと言って何が悪いのだろうか?むしろ私は自分のことを不登校生やひきこもりの生徒に語る自信がある。勿論、自分も保健室登校をしたことがあるから、保健室登校をする生徒の気持ちもわかる。  それのどこがいけないのだ?  それから、先述したが、管理職の勤務評定と生徒の勤務評定は明らかに違う。すなわち、管理職は教師だけでなく生徒も見ていないのだ。生徒に聞けば、どの先生の授業がいいか悪いかわかるはずである。  私は授業だけは上手かった。それは自信を持って言える。だから生徒も判で押したように「授業がわかりやすい」・「よく知っている」・「授業が楽しい」と言ってくれる。しかし、授業の上手下手は教師の善し悪しとは全く関係がない。校務分掌(事務仕事)が出来るか否かが管理職の評価となるのだ。嘘だと思うならば、今すぐに私がここで授業を行ってもよい。それだけの自信はある。「それで十分ではないか」と思ったら大きな間違いである。何度も言うが、教師の善し悪しは授業で決まるのではない。  私が「駄目教師」と言われていた理由は簡単だ。  学校をよくお休みするし、三年生を送り出したのは特別支援学校の一回だけなのだ。これは管理職にとっては駄目教師であって、学校のお荷物なのだ。また、事務仕事ができるわけではない。コンピュータにも弱い。その上に校長にごまをすることも苦手である。これで管理職の覚えがよくなるわけがない。  学校なんてそんな所なのだ。  だから私は学校を辞めたことは全く後悔していない。保身のことも考えずに授業ができた。  大体教師というものは自我が異様に肥大化し、威張っているものだ。特に進学校へ行くとそうである。そして彼らの考えていることは保身以外の何物でもない。  私にも中学高校時代の恩師はいるが、尊敬できる教師なんか一人もいない。だから、全ての教師を半面教師として教師になったのである。  学校というのはそういう所である。だから不登校なんか何も責められることではない。学校なんて、多くある選択肢の一つにしか過ぎないのであって、今では通信制の高校や高校卒業資格認定試験もある。不登校は選択肢として何も間違ったことではない。  もしもあなたがいじめられたりしたら堂々と不登校をしよう。学校なんて命をかけてまで行く所ではない。いじめ自殺なんて考えてはいけない。自殺するなら不登校をしよう。これはきわめて前向きな考えなのである。  中学時代、私はいじめられていたが、不登校はしなかった。今から思うと馬鹿な選択だったと思う。  いじめられるようなら人権擁護委員会や教育委員会へいじめた奴の名前を書いて内容証明郵便で送りつけよう。いじめが身体に及ぶようなら迷わず警察を呼ぼう。学校なんか何もしてくれない。事実、多くの教師はエリートなのだ。いじめられた経験もないのが大半なのである。いじめられっ子の気持ちなんかわかりようがない。    私は小学校から大人になるまで、その人生の大半を「学校」という所に身を置いてきた。そして今はただの精神障害者である。市役所の福祉課から支援を受けて辛うじて生きている。  ここに描いてきたことには嘘偽りはない。嘘のようだが事実である。非道いものであるが、これが現実なのだ。現実の日本の教育の姿なのだ。                      了
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