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なぜ転売をしてはならないのか
ここでは古くから行われている「せどり」行為は除外したい。古書店等を廻り掘り出し物を見つけて、それを購入し他所で高く売る行為だ。これを行うためには一定の経験と知識が必要であったし、販売側の無知に付け込んではいるものの、より高額で販売する技量があるという点で、せどり側に軍配が上がる。これがプロローグで述べた「一部の例外」だ。
ただ昨今の、スマフォアプリを使ったせどり行為には感心しない。スマートフォンのカメラでバーコードを読み取ると市場価格が分かるというアプリだが、このアプリの誕生により、有象無象がせどり界(というものがあるのか知らないが)に雪崩れ込んだ。この方法は「道」にならない。修練も研鑽もなく、ただ物を右から左へ動かしているだけである。それよりなにより、奴ら自身が物理的に邪魔である。私の目当ての本の棚の前でバーコードをスキャンする行為は、死罪に値する。
やはり世間的に一番問題視されているのは、品物を買い占めて出し渋り、価格操作を行う行為だ。
茶器を収集している知人から聞いた話であるが、有名作家の抽選販売には、一目で茶器に関心がないとわかる風貌の、大学生風の若者や外国人が押し掛けるのだという。販売側も「本人名義のクレジットカード以外使用不可」など対策を施してはいるが、気休めにしかなっていないのが現状なのだそうだ。
コロナ禍で品薄となったゲーム機が入荷した朝には、どこからそれを聞きつけたのか、それこそ有象無象が開店前から行列を作り、ものの10分で完売するのだ。餓鬼に食い散らかされた後に、親子連れのお客から商品の問い合わせがあった時などは、一体私達は何をやっているのかと、虚無感に襲われる。
全盛期にはフリマアプリで、品薄のゲーム機が定価の約2倍の価格で落札されていた。「子どもの誕生日にどうしても買ってやりたくて」「どうしてもやりたいゲームが発売されて」、そういう人たちの購買機会を奪い、払わなくても良い金を払わせている。価値を創造していると言えば聞こえは良いが、やっている事は搾取に等しい。
また顧客の店頭での購入機会、目当ての物を店頭で手に入れたという成功体験を奪う事は、小売店舗にとって痛手である。ただでさえ昨今の通信販売の急速な普及、メディアの電子化に伴い、顧客が店頭に足を運ぶ機会が減少しているというのにだ。店頭での成功体験が再来店を生むサイクルが、転売目的の購入によって遮断されるのである。同じ物は誰に売れたとしても、直接的な利益は同じだが、店舗側が失うものは大きい。これは当事者しか知り得ぬ事実だ。
少し話が脱線したが、要するに彼らのやっている事は、水道の元栓を閉めて「開けてもらいたければ余計な金をよこせ」と言っているのと同じなのだ。
百歩譲ってゲーム機やその他のおもちゃ類、茶器等の嗜好品は、欲しくても我慢すれば健康が害される訳ではないので、良しとしよう。
しかしコロナ禍のマスク、アルコール消毒液の転売は、人道的にいかがなものか。買い占めに遭ったために手に入れる事が出来ず、十分な感染対策が出来なかったせいで命を落とした人が、いないとも限らない。こういう部分に目をつぶっているのか、はたまた気が付かないのか。
隣人に分け与えるもてなしの心、和の心というのは幻想なのだろうか。現世も戦中戦後と等しい、生きるには人の命を奪わなければならぬ切迫した世なのだろうか。
現世に巣食う闇は深い。パワハラ、モラハラ、過剰な残業、通常の精神状態で就業できる事は稀であろう。会社、組織の時代は終わりの兆しを見せている。個人主義、大いに結構だ。
しかし金銭を得るという事は、隣人を貶めてまで行う事なのだろうか。私だけは人間でありたい、と強く思う。
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