悠樹side #1

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電車が上野へと向かっている間、俺は白石の手を掴んだままドアの入り口付近に立ち、身を寄せた。土曜の夜ということもあり車内は空いていたが座席は全て埋まっていたからだった。 大丈夫か?と白石に声をかけると、ご迷惑をかけてすみませんと申し訳なさそうに俺を見上げて見つめてくる。距離が近いせいか、蕎麦屋では感じなかった甘くて上品なフローラルの香りがほのかに漂う。 香りというものは人を操る力を持っているのだろうか。 思わず空いている方の手で彼女の髪の毛に触れてしまいそうになり、慌ててつり革を掴んだ。 駅に着き改札を出ると、「部長、ありがとうございました。もうここで大丈夫です。マンションすぐそこなんでここから近いんです」と繋いでいた手を離され、白石が自分のマンションの方を指さした。 急に手を離されたことに少し戸惑ったものの、指をさした方向は偶然にも俺と一緒の方向だった。 「俺のマンションも実はこっちなんだ。ついでだから近くまで送っていくよ。ここまで来てもし部下に何かあったらいけないだろ。最近は物騒だしな」 マンションが同じ方向だから送っていくのか。 それとももう少し白石との時間を共有したかったのか。 俺自身、どうしてなのかはわからないけれど、最近は物騒だから──と、そんなもっともらしい理由を言いながら夜空の中に輝く丸い月の下を彼女と歩き始めた。
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