1- 忘レモノ

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1- 忘レモノ

一つ前の車両もがらんと空いていて、乗客は老婦が一人のみ。 白い花柄のワンピースを着ていて、殆ど白髪になったストレートの長い髪はひとくくりにされ胸元へと垂れている。座る姿勢は綺麗に背筋が伸びていて、窓の外を見ているようだった。 年老いて皺が多く見えるが、それでも綺麗な人だなと、少年はぼんやりと思った。そして、それと同時に、 「……寒くないの?」 今の季節は完全に冬で、この車両の気温も暖房が点いていないかのように冷たかった。だというのに薄手のワンピースで防寒着を何一つ着ていない老婦に、少年は思わずそう声をかけていた。 少年の声に気が付いた老婦は、その姿を見止めると少し驚いたように目を見開き、続いて柔らかく微笑んだ。 「あら、心配してくれてありがとう、坊や。そんなに寒くはないから、大丈夫よ」 穏やかに笑いながら話す老婦。しかし少年は眉を顰めて老婦へ近寄る。 「でも、顔真っ白だし。風邪引いたら大変」 少年は話しながら自分の着ていたコートを脱ぐと、老婦の肩へと掛けた。その際に少し触れた肌は、氷のように冷たかった。 「あら、別にいいのよこんな。これじゃあ坊やが風邪を引いてしまうわ」 「僕は若いから、この程度じゃ風邪なんか引かない」 そう言いながら少年は老婦の手を握る。少しでも体が温まるようにと思ったのか。 老婦はあら、と驚いたように息をのみ、今度は少し可笑しいようにクスクスと笑った。 「優しいのね。でも確かにそうね。孫に会いに行くというのにそれで風邪を引いたんじゃあ世話ないわよね。家で寝てろって怒られちゃうわ」 「……こんな時間に会いに?」 さっき時間を見た感じだと、現在の時刻は9時を過ぎたあたりだろう。会いに行くには少し遅い時間じゃあないだろうか、と少年は首を傾げた。 「……そうね。今はもう遅い時間だものね。けどあの子ったら大事なもの忘れて行っちゃったから、私が届けてあげないと」 老婦はそう言いながら横に置いている小さな包みに目を向けた。可愛いリボンで丁寧に包装された小さな袋。もしかしたら何かのプレゼントだったのかもしれない。 「……どこで降りるの?」 「……駅は分からないわ。ただ、この電車に乗って終点まで行けばいいみたい。坊やはどこで降りるの?」 「○○駅。……のはずなんだけど」 老婦に聞き返され、少年は家の最寄りの駅を答える。それを聞いて老婦は顔色を変えた。 「あら、それはいけない。早めに降りた方が良いわ」 老婦の声には少しばかり焦りの色が含まれているようにみえる。それを聞いた少年はやっぱり、と納得する。 「もう過ぎてる?」 「……ええ。そうね。でも私も確かなことは分からないから、他の人に聞いてみた方が良いかもしれないわね」 その少し間の開いた返答に、少年は少し違和感を感じた。けれどその正体は分からず、大したことじゃないだろうと放って置くことにした。 「……そっか。ありがと」 一言お礼を言い、少年は立ち上がった。 「あら、もう行くの?それならこのコート……」 「返さなくていいよ。おばあちゃんにあげる。……風邪、引かないでね」 コートを返そうとする老婦を押しとどめ、少年はふわりと微笑み返しながら言った。 それまでずっと無表情だった少年の見せた一瞬の笑顔に、老婦は何も言えなかった。 そして少年はそのまま、次の車両へと向かって行った。
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