第1話 秋学期——語らい【挿絵あり】

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第1話 秋学期——語らい【挿絵あり】

 夏の青い花々が、足早に行く季節に取り残される。  東の空が白み、草木にしたたる朝露が光り始めたら、僕らは駆け足で行かねばならない。  顎を引いて背中を丸め、両の脚にソックスを履かせる。鏡に向かってシャタン(※)の髪をなでつけ、笑顔をつくってみると、榛色(はしばみいろ)の瞳がきゅっと細くなる。  制服のジャケットを羽織り、仕上げに水色のリボンタイを整えたら準備完了だ。  昨日よりも少しだけ新しい気持ちでドアを開け、目が合った者におはようを言い、1階の食堂に行くまでの道すがら今年もそれほど日焼けすることのなかった短い夏休みの話をする。  僕らは毎年、こうしてジムナーズの新学期を迎えてきた。 「新学年もよろしくね、エヴァ」  向かいの部屋から出てきたルーの挨拶に「こちらこそよろしく」と微笑み返す。  彼がうれしそうに頷くと、水色の瞳はふっくら丸い頬に押されて線になり、くるくるの赤毛がバネのように揺れた。 09103dbe-81b1-4b57-8380-162031982acb    ふたりでお喋りしながらクルミの木の大階段を降り、食堂に入ると、クラスメイトの3人が一枚板のテーブルについていた。  皆、すでに朝食を食べ始めている。 「おはよう、いい朝だね」  そう挨拶すると、長い髪をひとつに結ったベルトが、明るく「おはよ!」と返してくれる。金髪と緑の瞳にまぶされた朝の光が、彼の少女的な美貌を一際引き立てている。  しかしアマーリは、コーヒーカップを片手に「早く座れ」と言うなり、神経質そうにメガネをくいっとさせただけだった。少年らしい艷やかな黒髪が目を惹くが、黒い瞳の下には不健康にもクマができている。  彼の向かいのエドマに至っては、無言。それどころか、ブラウンの長い前髪に顔を隠してうつむいたまま、目も合わせてくれない。  だが、これにも慣れたものだ。 f31a8ee1-d0c2-4549-9520-567bb96e8d27   ベルトがひらひらと手を振りながら「こっち来いよ」と声をかけてくれる。応じて彼の隣に座ろうとすると、なんとちゅ、ちゅ、ちゅ、と唇を鳴らしキスの真似事をして顔を近づけてきた。  僕は「わっ」と声を上げてよろめき、右隣に座っているアマーリにぶつかってしまった。  ジムナーズでは、許可なく他人に触れることが禁じられている。  ごめん、とアマーリを振り返ると、小柄で華奢な彼のメガネはずれ、黒い前三白眼(さんぱくがん)の瞳がぱちくりとしていた。同時に、彼の頬がみるみる紅潮していく。 「わはは、ふたりとも真っ赤になってやんの~!」  線が細く一見儚げなベルトだが、見た目に似合わぬ性格をしていて、ときどきこういういたずらをする。指を差して笑う彼に注意をしようとしたが、先に「ベルト!!」と声を上げたのはやっぱりアマーリだった。  僕らの間で「ジムナーズの瞬間沸騰器」ともささやかれる彼の怒りの剣幕はすさまじく、「まあまあ」となだめるも聞いてくれない。  僕の正面に座ったルーに助けを求めたが、加勢するどころか「僕もエヴァの隣がよかったな」とぷうっと頬を膨らませる始末だった。  いつもどおり騒がしい朝食の席での、今朝の話題はもう決まっていた。転入生が来るのだ。  ルーが赤毛を振り振り、無邪気に言う。 「どんな子だろ、楽しみだね。向こうにもミラベル(※)ってあるのかな? 彼が来たら畑に案内してあげたいな」 「いい考えだね。きっと、わからないことだらけだろうから」  僕の発言を受けて、ベルトが長い金髪を指に巻きつけながら「でもよ」と口を開く。 「ブリタニア(※)のジムナーズから来るんだろ? じゃあもう、勝手知ったるって感じじゃねーの」  僕の代わりに、アマーリが応じる。 「ジムナーズごとに細かい違いはあるだろうし、そもそもマリアンヌ(こっち)(※)とブリタニア(あっち)じゃ言葉も違うだろ。しかも館内は広い。3年前には、誰かさんが泣きべそかきそうな顔でうろうろしている姿をずいぶん見かけたもんだ」  アマーリとルー、そして僕はもう長いことジムナーズにいるが、双子のエドマとベルトは3年前に転入してきた。アマーリはそのときのことをからかったのだ。 「アマーリ、今日も朝から冴えているね!」  僕がたしなめると、アマーリはふんと鼻を鳴らしてバゲットに手を伸ばした。  ベルトは露骨に嫌な顔をしながら「あーやだやだ、皮肉屋め」とつぶやく。が、これはアマーリの性格を知ったうえで演じるコメディみたいなものだ。本気で気分を害しているわけじゃない。  あまり食が進んでいないエドマに「気分はどう?」と聞くと、彼は無言のまま長い前髪の隙間からちらっと目をくれた。  その態度が気に入らないらしい弟・ベルトが舌打ちをしたが、僕は気にしていない。こうして声をかけること、「君も仲間なんだよ」という小さな意思表示が交わされることにこそ、ジムナーズで暮らす意味があるのだから。  平穏とも幸せともいえる日々だろう。  美しいしつらえのクラシックな食堂で食事を取りながら、仲間たちと雑談して過ごす。人間関係には少しざらっとしたものがあったとしても、いわゆる感受性豊かな年頃とはそういうものだろう。  なのに、僕らはきっと皆、胸の底に錆びついた恐れを沈めて暮らしている。 ※シャタン……ブラウンと金色の中間のような髪色 ※ミラベル……西洋スモモ ※ブリタニア……本作内の国名 ※マリアンヌ……本作内の国名。エヴァたちが暮らすジムナーズの舞台
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