ZERO/1

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ZERO/1

c31ad5b8-770f-4ae5-82c4-ec3827a2fb90  冷たく澄み切った晴れた大空に、衝撃波と機銃の音がこだまする。  時折爆発音とともに、砕け散った装甲が海上へと落ちていく。  青い文字がペイントされた銀色の機体は擦過痕を幾つもその身に刻み、今も尚背後から追撃してくる戦闘機の弾道を巧みに躱しながら亜音速飛行を続けていた。  放物線を描きながら落下していく、相撃ちした戦闘機を横目に通り過ぎながら計器を見遣った。  燃料はまだある。予想外の敵の増援に肝を冷やしたがある程度は片付いた。味方の機は早くも三分の一が敵の手に落ちたが、全滅を覚悟した数十分前の自分を殴りたくなる程度にはマシな結果だろう。マシなだけ、状況は極めて、悪い。  通信回線のノイズが消える。  指が冷え切っている。 『───こちらH-2。特務飛行戦各機に通達。現戦闘空域から撤退、基地まで後退する。われに後続せよ』  目の前には季節外れの積乱雲。このまま攻撃を躱しつつ雲の影に身を潜め、降下して散開する。  各機に収集された情報は全アトラスの中枢コンピュータが帰還率を割り出した結果、フェリトへコピー転送された。最悪自分の機だけでも生還しなければ、この戦隊の意義そのものが喪われるだろう。  他部隊の人間には敵前逃亡と罵る者もいるかもしれない。しかし自分達の任務は本来、情報収集だ。生きて還ること、それが至上任務。頭が痛くなるような高音波に顔を顰めつつ目を見開き、右舷に思いきり舵を振り切る。行動を正確に予知されてはならない。焦るな。  一か八か。  最大まで加速し飛行高度の限界まで上昇する。ズーム上昇。圧倒的重力が圧し掛かる。耐Gスーツがみちりと鳴る。  背後の敵機は追撃の手を緩めない。対空ミサイルが一つ、真っ直ぐにこちらへ突っ込んでくる。  今だ。  急速反転すると同時に対空機銃を高速連射。着弾寸前の迎撃。  黒煙を浴びながら飛び出してきた敵機を視界の中央に捉えた。  指は掬い上げられるように全面液晶の中央をなぞる。硬い装甲を瞬時に溶解させるレーザー銃。  頭上に輝く陽光に照らされて、コクピットに鎮座する真っ赤な発光体が鮮明に視認できた。───ああ、やはり生き物ではないのだ。  親指を赤いボタンに沈み込ませる。  激しく穿たれた機体の破片が虚空に散った。  自由落下していく様を確認してすぐさま軌道を元に戻す。ギリギリで上昇限度は越えずに済んだらしい。  液晶の端に無造作に張り付けられた少年の写真。火炎と轟音が彩る死地ならぬ死空の片隅で、彼はこちらを見て笑っていた。  核保有国の台頭と、その影響で悪化する欧州の軋轢。  中東に派遣された某国の軍隊が起こした現地でのクーデターは、周辺国を巻き込んで泥沼の戦いと化した。科学の発展により高度になっていく戦争、電子戦。情報のやり取りがそのまま命のやり取りになる。やがて諸国はネットワークを利用した情報操作によって、物理的な破壊を二番目の手段に追いやり、どの国が火蓋を切るか秒読みとなった開戦に向けて学者や研究者たちに次々と軍属を課していった。だが、三度目の世界大戦が勃発する直前───人類は唐突に共通の敵を得た。  数年前から説明のつかない異常が世界各地で起きていた。アジアを中心とする国の人々が解読不能な言語を使用するという現象だった。当初は世間の流行でもあったSNSを通じたコンテンツの類か何かかと思われていたが、不明言語の使用が日常的に行われ、かつ該当者の数が万を超えていると判明したことで、ようやくただ事ではないと察した各国が調査に乗り出す。やがてその現象は全世界で確認され、陰謀論や新型生物兵器の出現がまことしやかに囁かれ始めた。  そんな中、更なる異常事態が生じる。疑念が疑念を呼び国家間にまで及んだ諍いに突如、まるで柏手を打つかのごとく鋭く切り込んできた異物。  山一つ覆えるほど巨大な、謎の浮遊要塞。それは太平洋上空に出現した。その浮遊要塞から、一つの箱が地上に送られてきた。  四角い箱。ガレージの隅に置かれた簡易倉庫程度の大きさのソレから出てきたのは、地球上に存在しない未知の素材でつくられた球体。軍人の一人が手を触れた瞬間、発された高周波。周囲にいた者は皆命を落とすか、精神に異常をきたしたらしい。  十日に及ぶ調査の末、遮断に有効とされた金属と超合金の隔絶壁の中に収納された。その過程で三百余名の人間が犠牲となった。  ポイント・ネモ───南太平洋上に位置する、あらゆる陸地から最も離れた到達不能極。その真上に鎮座した浮遊要塞は後に【ノアゼ】と呼称がつけられた。  各国が連携して行った対策会議では、ノアゼが送り付けた球体の高周波の影響が地球全土に及んでいたことが新たに判明した。  未知の言語を使っていた人々、ノアゼ襲来後七日時点で二万七千人。その全員が高周波に呼応するかのように奇声を発した後昏倒している。いかなる刺激を加えても目覚めず、またその鎖骨付近には鬱血したかのような幾何学模様が浮かび上がっていた。似たような印がノアゼの至る所に観測できることから、昏睡した人々は【ニア・ノアゼ】、球体は【イビル・コア】と名付けられ、対策連合の監視下に置かれることとなった。 徐々に人々の意識を侵食していく、映画のようで仮想ではない非現実的な未知の恐怖。  世界は正体不明の存在の一挙手一投足に怯えた。  それから数か月。───ノアゼは何の反応も見せなかった。  混乱に陥った数日間を経て、拍子抜けするほどの無反応。そもそも最初から接触などというものはほとんどなく、その目的も真意もまるで不明だった。ただニア・ノアゼの事象からして、ノアゼが人類に対して、決して平和的な交渉を望んでいるのではないことだけは確かだった。  地球外生命体による侵略を警戒していた各国は唐突な静寂に業を煮やすが、幾ら弁を展開したところで解決にはならない。二万七千人が眠り、要塞は未だ洋上に浮遊している。世間は「次の行動」に向けて声を上げ、次第に暴動という形で最前線の者達を急かし始めた。 ついにノアゼ対策連合会議は情報収集に向けて重い腰を上げた。  球体と同じくノアゼからは脳に干渉し精神を破壊する攻勢高周波が放出されていて、近づくことすら困難だった。それに耐えうる人間を選抜し強化しなければならない。  人体改造。  古来より禁忌とされてきた、人が怪物に立ち向かうための最後の手段が解禁される。  最初に無作為に選ばれた各国の兵士達はほとんどが廃人と化したが、数人はどうにか正気を保って生還した。いずれもニア・ノアゼが最も多く観測されたアジア地域の出自で、すぐさまアジア圏を中心とした大規模選別が開始された。  主な任務はノアゼに関する情報収集だが、常に攻撃或いは迎撃態勢をとらざるを得ない可能性がある以上、攻勢高周波への耐性は必須となる。人体改造を前提とした前代未聞の要求に、対策連合参加国全てが首を縦に振るには少々時間を要した。  そして始まった倫理の踏み越え。選抜されたのはいずれも航空士───爆撃手。  情報収集が最たる任務とはいえ、通常の航空任務にあたるいわば非戦闘員を起用するわけにはいかない。  文字通りの肉体改造、リハビリ、訓練。とはいえ全てが未知の戦争において、設けられた時間はあまりに短く、取るべき対策もほぼ皆無と言える。まずは情報、情報が全て。  兵士として早期に復帰するためにあらゆる手が尽くされ、最初に百余名がノアゼ前線基地に配属されることとなった。  一度目の派遣では接近可能な距離が判明したのみで、その情報を持ち帰る際にノアゼからの攻撃(敵機は凡そこちらの航空機等を模倣した飛行機のようだった)を受けて偵察機二機が撃墜、爆撃機一機が消息不明、計五名の兵士が行方不明ないし命を落とした。  ノアゼの航空機は、攻勢高周波の影響で錯乱したパイロットが「うるさい、うるさい、このかん高い(Shrill)音を消せ」と叫んだことから【SHRILL(シリル)】と名付けられた。  対策連合は地球防衛機構『アース空軍(EAF)』を創立し、ノアゼ周辺海域には計五つの前線基地が設立された。北シェイド、北東グノン、南東ビフロスト、南西ヴォダ、北西フューリィ。フューリィ基地には全軍を束ねる総本部があり、EAFの主戦力兼地球防衛機構の中枢を担っていた。  その後も兵士の改造、前線への投入、索敵、消耗、更なる強化───これらのサイクルを経て人類は強化され、ノアゼの侵攻を食い止めつつ完全排除に向けて緩やかな進化を遂げていた。  ノアゼ襲来から数年経ったある日。  台風の接近により暴風雨にさらされる、灰色のEAFフューリィ基地。  一人の東洋人が配属された。  短く切られた黒髪。上背はあるがどこか心もとない細身の身体。眼窩は落ち窪み、切れ長の瞳はその奥で爛々と輝いている。  基地内部の説明と紹介のため、同伴した上官とともに中央管制室に入ると折り悪く緊急事態らしかった。怒号と命令が飛び交っている。挨拶どころではない。ここは後回しにしようと上官が提案するも、男は食い入るようにモニターを見つめて動かない。  しんと突っ立っているかと思いきや、「遅い」と一言呟く。上官が眉を顰める。  メーデー、支援を、と悲鳴に似た怒鳴り声が管制室に響く。悪天候のため出撃許可が出せないのだ。聞き咎めた男の目が見開かれた。 「飛ぶ」  言うなり要撃機への搭乗申請を始めた。押し問答の末、発進する。始末書では済まないぞと叫ぶ上官と必死に制止する整備士達を牽制するかのようにエンジンが唸った。  極めて濃厚な敗北を実感し、浅い呼吸を繰り返しながらパイロットは後悔を噛み締めていた。  作戦内容はノアゼが侵攻する空域の現状確認。高周波に耐えられる制限時間を無視した一機により隊形が崩壊し、残り数機もじわじわと嬲られるようにシリルによって把握されていた。  暴風雨はさらに激しさを増していく。幸か不幸か、撃墜を回避する程度の対応は出来た。しかし強い。こちらの数は減らしに減らされ、全滅も時間の問題。先程から計器や通信回線にも異常が見られる。妨害電波、いや、これもあの高周波のせいか?   ぐるぐると混乱し出した思考と比例するように、キンと耳をつんざく不快な音が増幅して頭の中へ拡がっていく。  死の気配に侵食され尽くす刹那、それまで沈黙していた通信回線が開いて聞き慣れぬ男の声がした。  名乗りもしないその機に反応したレーダーが映すのは味方であることを示す緑のアイコン。 『援護する』  レーダー出力最大でジャミングを回避、バーンスルー。  敵機七機に対し、残る友軍機は三機。燃料はほぼ尽きているはず。猶予はない。  ───デコイだ。まず引き剥がそう。  二番機のパイロットは操縦桿をゆるりと握り直し、暗い嵐の中でこちらを捉えた敵機を見据えて短く息を吸った。
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