僕の現在

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僕の現在

   水平線が絶えず上下する。  荒々しく尖った波が舳先(へさき)にぶつかるたび、僕は潮に濡れた小舟の縁を掴み、海の中へと思い切り嘔吐したくなった。   「だらしねえぞ、新米AD」  ベテランカメラマンの久部さんが僕のケツを叩く。  やたらガタイのいい久部さんは、元ヤンキーだったそうだ。久部さんの顔を見るたび、僕の頭の中には往年のツッパリソングが流れ出す。  彼の太い二の腕は重いカメラを担ぐのにちょうどいい筋肉がついていて、男の僕から見てもかっこいい。僕も大学時代はプロレス同好会でリングに上がったりもしたのだが、結局一勝もできずにプロレスをやめた。  何事も中途半端だ。  久部さんみたいに体が大きかったら。友人の笹川みたいにイケメンだったら。大学時代、一度も口をきかなかった上位カーストの面々みたいに、頭がよくてしゃべりも上手かったら──僕はこんなアシスタントディレクターなんて肉体労働ばかりのきつい仕事、絶対に選んでいなかった。  遠くの海に視線を走らせる。港を出てから何十分経っているのか分からない。さっきからずっと同じ景色で、それは地味に絶望感を与えてくる。 「本当にこの先に無人島なんてあるのかな」  久部さんもそんなことを呟く。 「情報によればな」    久部さんとは別の方向から声がした。そこにはリポーター役も務める、番組ディレクターの西島さんが渋い顔でタバコをふかせていた。潮風が強くて、目が開けられないという様子だ。老けて見えるけど、彼はまだ三十代だという。  タレントなしで、カメラとD(ディレクター)AD(アシスタントディレクター)だけが派遣され、僻地の島に度々現れると噂されている謎の人物の話を聞きに行く。  あなたはなぜこの島に来て、ここで何をしているんですか、と。  僕らはそんなゆるい内容の深夜バラエティー番組の撮影隊だ。  僕らが撮って来た映像は、陸にいる編集がちょうどいい尺にして、台本を読んでいるのかどうかも怪しいタレントに披露される。彼らはスタジオから一歩も出ないまま、僕らの労力に対して調子のいいコメントをする。  誰がそんなもん面白がって見るんだよ、と思うけど、こういうコンテンツが最近の人気だ。  赤の他人の、人とはちょっと違った人生を覗き見して面白がるなんて、まるでありとあらゆる遊びに飽きた貴族の最後の暇つぶしみたいだ。  そりゃあ動画配信の方が人気出るよな、と思う。  30歳までにディレクターになれなかったら、こんな仕事きっぱり辞めて動画配信者になろう。  中途半端な人生もここまでくれば立派だな。自虐の笑みを浮かべる僕の真下には、真っ暗な深海が不気味に横たわっていた。  
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