第一章 出会い

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第一章 出会い

僕がその子と出会ったのは、春も近い三月の末の頃だった。僕は、叔父が残してくれた伊豆のアトリエで何時の様に売れない絵を描いていた。主にこの辺の海岸を描く事が僕の仕事の様になっていた日々の中で、たまに人通りの多い町に出て、似顔絵のアルバイト見たいな事もやっていたが、所詮、もともと人物画が好きでは無いためか、大した商売にもならずコーヒー代位で終わっていた。叔父の影響で、この道に入り、芸大の時には幾つかの賞も取って、有る意味将来を期待された学生として過ごしていた。そんな傲り(慢心)も有ってか、プロの画家を目指してしまった事がそもそもの間違いだったのだろう。僕の絵は、卒業後数年経った時点でも、画壇で評価される事なく、師匠として仰いだスペインの先生パブロ・ジャバネールからも最近は見放されている始末だった。そろそろ、この先の事を真剣に考えなくてはならない時期に来ている事を感じながら、何時も様に、白砂の海岸を画いていた時、キャンバスの中の白い海岸線と少し青味が戻ってきた海の間で、黄色い物を見つけた。 「こんな所に、色を置いた覚え無いけどな。」独り言を言いながら、少し白波が立つ海に目をやった。この時期。気の早いサーファーが時折やって来て、彼らは大抵黒ぽいウエットスーツを着ているが、最近ではたまにカラフルなスーツを着ている事もあった。この日も数人のサーファーが波間に見え隠れしていたが、黄色いスーツを着ている様子は無かった。 「見間違えか・・・」一度パレットに目をやってから、再び海岸線に目をやると 黄色い服を着た人影が見えた。その人影は、大きなS字を書きながら僕の方へ近づいて来ていた。近づくに従って、その人物が特定出来るようになると、それは恐らく、小学校の低学年位の女の子の様であった。 「こんな時期、一人で海岸で遊んでいるのか?」一寸不思議に思いながらも、その子が辿る砂浜に残す足跡が気になって、キャンパスの上に軌跡を描き始めていた。ふと気づくと、その女の子が僕の側にいた。 「お兄ちゃんて、画家さん?」僕と、僕の絵を見上げる様にして訊いてきた。 「うん、一応、売れない画家だけど」そんな返事を返すと、ふふと笑ってから 「そのうち売れてくるよ。」 「え、ホント・・・嬉しいな、そうなったら。」せっかくの子供の気遣いを無碍にする事もないかと思って、そんな答えを返していた。 「何処からきたの、お父さんかお母さんは?」 「今は、彼処に泊まってる、お婆ちゃんと。」そう言って指さしたのは近くのリゾートホテルで、テラスが在る五階立てのビルの他に、幾つかのコテージを持った結構高級なホテルだった。 「ひとりで、出かけてきたの?お婆ちゃん心配してないかな?」 「うんん、大丈夫、何時も見てるから。」 「ふん、見てる、何処から?」 「それは内緒。」 要領を得ない回答に、僕は非常用の携帯でも持たせてあるのかと推測して一人で納得していた。その子は暫く僕の周りで遊んでいたので、なんとなくスケッチさせてもらった。そのお礼と言っては些細な事だったが、その一枚を小さなレディーに渡した。 「やっぱり、お兄ちゃん上手よ。きっと有名な画家さんになるわ。」お茶目ぽくその絵を褒めてから、僕の横に座りこむと何やら考え事でもしているのか、静かに海を見ていた。 「のど乾かない?ジュースは無いけど麦茶ならあるよ。」 「ええ、頂きます。」そう言うと、僕の差し出した麦茶を美味しそうに飲んでくれた。 「お兄ちゃんの家って何処?」 「ふん、あの岬の上の所の家だよ。」 「ほう、良い所ね。星が綺麗そうだね。」 「うん、良く分かるね。」 「うん。私、一寸分かっちゃうの。かんなぎの孫だから。」 「かんなぎ。」 「日本の魔女みたいな人かな。」 「巫女さんの事?」 「うん、そうとも言うかな。でも昔は、男の人でも女の人でも、神様のお仕事をする人を『かんなぎ』て言ってたんですて。私のお婆ちゃんは、北のかんなぎて言われてるの。」 「ふーん、北のかんなぎさんのお孫さんか。ところで北て何処のこと。恐山とか?」 「お婆ちゃんの所は、早池峰山の側の朱鷺神社て所だよ。とっても大きなお家だよ。」 「ふーん。」僕らは、何だか昔からの親戚、年から言えば、僕の姪みたいな感じで四方山話をしてから、帰るついでに、小さな彼女をホテル近くまで送っていった。別れ際に 「今度、お兄ちゃんの家に遊びにいってもいい。」と訊いてきた。 「来るのは構わないけど。結構歩かなきゃいけないし、一人じゃお婆ちゃん心配するよ。」 「うん、大丈夫、たぶん守り女もりめの沙耶と行くから。」 「守り女?身の回りのお世話をしてくれる人?」 「うん、そんな所かな。」微妙に、話がずれた内容だったが、取りあえず僕の電話番号をスケツチの紙に書き入れて、本当にくるなら連絡してくれる様に言ってから別れた。  その晩は、久しぶりに心が晴れた気がして、絵筆も走っていた。昼間の海岸の景色にあの少女を入れた作品と、海をバックにしたその少女の横顔を書き上げた。翌日からは、生憎の雨となり、春先の気まぐれな低気圧が日本列島を縦断していった。そんな事も有ったためか、結局、かんなぎのお孫さんからの連絡は無いまま時間がすぎ、僕は定例のお勤めに出かけていた。月に一回程度、叔父の知り合いだった銀座の画廊の店主に絵を見せに行っていた。店主は珍しく、僕の絵に興味を抱いたらしく、 「薫君、これ良いね。」そう言って、あの少女が画かれている海辺の絵と、横顔の絵、そしてモチーフとなった海岸の絵を数点買い入れてくれた。そんな事で一寸気分が良くなった事も手伝って、暫くご無沙汰している、母の所へ顔を出そうと思って、母が住む外苑近くのマンションに向かった。近くの洋菓子屋で、土産を誂えてから、母の部屋に乗り込む決心をした。母は女医をやっていて、数年前まで、あるNPOに所属して世界中を飛び回っていたが、流石にきつくなったのか、ここ数年は、日本でそのNPOの事務代表兼開業医と言っても、殆ど外人専門の医院で働いていた。僕が、親の期待に反して芸大に進み、医学とか科学とは畑違いの方向に行ってしまったのと、その発端となった、今僕が住まわせてもらっている、伊豆のアトリエの持ち主である叔父との不仲もあって、僕と母の仲はあまり良くなかった。それでも、此数年は、日本に居るためか、何かと気を遣ってくれている様だった。まあ、大体結婚の話が主だったのだけれど。 久しぶりに、母のマンションを訪ねると、玄関に見慣れ無い小さな靴が置いてあった。 「誰だろう。こんな靴を履く小さな子の親戚とか居たかな」と思いながら、居間へ行くと、税務署の査察官の様な黒のスーツを着た、女性がソファーニに座っていた。恐らくそれなりのファッションで着飾れば、かなりの美人の部類に入るだろうその女性に僕は軽く会釈して、 「この家の息子です。どちらかと言えば放蕩息子の方ですが。」その女性は、僕の応答が面白かったのかくすりと笑みをこぼして 「沙耶と申します。今日はお嬢様のお供でおじゃまさせて頂いております。」 ふん何処かで聞いた名前だなと思っていると、母に連れられて、見覚えのある少女が現れた。 「やっぱり、ケーキを買ってきたでしょ。だから紅茶が正解でした。」 その少女は、テーブルに紅茶を置くと、 「お兄ちゃんの家に行けなくてご免ね。あの後お婆ちゃんに急な用事が出来て、 あのホテルを出ちゃったの。」 そう、その少女は、半月ほど前に海岸で出くわした少女だった。 「何で、お嬢ちゃんが、僕の母の家に居るのかな?」事態が把握できない僕の質問に母が 「あんたが、ちっとも顔出さないから、再婚したのよ。この子は相手の連れ子よ。」そう言った言葉に、沙耶と言う女性がまたくすりと笑った。 「うん、その冗談はあまり面白くないね。僕とこの小さなレディーは既に顔見知りだし。」 「ほう、じゃあこの子はだあーれ?」 「・・・・」 「ほら、分からないじゃない。」 「まあ、そんなに虐めないで種明かししてよ。」母は少し勝ち誇った表情で 「梢姉さんの息子さんの娘さん。あなたの従兄弟違い、従姪じゅうてつて言うのよ。ああ、めんどくさい呼び名ね。彩あやちゃんよ。あなた、かんな婆ちゃん覚えていない?」 「かんな婆ちゃん?」 「まったく、小さい時から叔父さんの所に入り浸りで、ちっとも母方の親戚何かに顔見せ無いから・・・」 「梢叔母さんの事は少しは覚えてるけど・・・」 「ああ、もう良いわ。紅茶が冷めちゃうから。」そう言うと僕の買ってきたケーキを無造作に開けてから 「ほお、薫にしては気の利いた店で買ってきたじゃない。此所のは美味しいのよ。」 「それ位知ってるよ。叔父さんに良く連れてってもらったから。」 母は呆れた様な顔をして、僕のケーキをみんなに取り分けてから、 「あなた達、伊豆で逢ったんだって。」 「うん、アトリエの近くの海岸だけど。」 「その後、お兄ちゃんのお家に遊びに行く予定だったんだけど・・・」 「それなら丁度良いじゃない。ここで逢えて。」 母は一人で話しを完結させてから、この二人、かんなぎの孫とその守り女の話を長々と話し始めていた。
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