『死霊のはらわた』の系譜

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それで当時の時代背景なんだが、人体損壊等をビジュアル重視で描き始めたのがこの1980年代だと思う。 スプラッタの金字塔として『死霊のはらわた』を押す人は結構いるのはそれが理由じゃないかな。 でもスプラッタというのは1960年代が発祥だ。 最初のスプラッタは『血の祝祭日』といわれている。実は自分はこれをまだ見ていないのだけど、これはテーマは食人であって、人を解体すること自体はテーマでないように聞いている。その流れは70年代に至っても続いていて、例えばトビー・フーパ―の『悪魔のいけにえ』でもレザーフェイスが人を殺す理由というのは一応あって、人の異常性というテーマも一応設けられていた。 んん、このスプラッタのすばらしさとかを詳細を書くと他のエッセイ書く時のネタにつかえないからこの程度で控える。 自分がこの『死霊のはらわた』が特異であると感じる点は、理由なんかすっとばしてひたすら人体損壊を続けるところ。不幸の起点にレザーフェイスみたいな人の異常性なんかすら欠片もなく、例えば誰かが誰かを殺したいという恣意もない。たまたま偶然訪れた主人公たちがいたずらのように置かれた『レコーダーのスイッチを押す』だけだ。訪れなければ永遠に呪いは発動しないかもしれない。つまり不運が発生する『納得できる』理由がない。そこから繰り広げられる鮮烈な惨劇。。そういうところがとても好き。無味乾燥な理由でカラフルに浸されていく主人公たち。その対比がとてもエモい。 でもまぁ、これは後で思い返すエモさで見ている間はひたすらヒャッハしてるだけではある。なお、人体損壊シーン自体も悪くないです。でもイメージとしてはグロいというよりは汚いのほうが強いかな。 なお、ゾンビはちょっと事情が異なる。 ゾンビは1960年代から意味もなく人を襲ってるし1970年代にフルチ監督がじゅくじゅくしたり渇いたりと色々なパターンの質感のゾンビを生み出している。まあ、食欲という意味は一応あるのかな。70年代はスプラッタよりゾンビの方がより凄惨な表現だった気がしなくもない。でも多分もともと死んでるからゾンビが腐ってるのとか、そのへんはあんまり気にされていない気がする。と、蟹味噌食いながら書いてる自分。 そういえば『スプラッタ』というのは血とかが『スプラッシュ』することが語源と聞いている。ゾンビはスプラッシュはしないからその点でも違うのかな。
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