夢に生きる

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夢に生きる

「102円です」  何を言われてもその一言を、ただ呪文のように唱える。  それがこの現場での女の役である。  小説一冊分ほどあろう台本には、話し方や表情、撮影時間まで事細かく書かれている。 「あ!山本さんっすよね!?」  向こう側の景色が透けてしまうほど拡張されたピアスホールに、肩につくほど長い襟足。  きれいに脱色された髪はまるで地毛のようにも思われるが、真新しい髪が根元に目立っている。 「ええと、あなたは……」  男とは対照的に、そう言葉を詰まらせた女の一つに束ねられた黒髪には、加齢によりメラニン色素を失いつつある髪が白く目立つ。 「俺ですよ!だいぶ前っすけど、ご一緒したの覚えてますか?海辺でフェス?みたいな現場で……クライアントさんがボーカルの、バンド仲間って役だったと思うんすけど」  海辺でのフェス、バンド仲間、そして目の前の青年。  女は何かを思い出したように、はっと顔を上げた。 「あ、思い出しましたか!にしても、それ山本さんの台本っすよね?めっちゃ分厚くないすか?」  男の手には、ファッション誌ほどの厚さの本が握られている。女のものと比べると、その厚さは半分ほどといったところだろうか。 「さすが売れてる人は違いますね〜!俺もこれでもめっちゃ仕事もらえるようになった方なんすよ。最初なんてフリーペーパーくらいの台本でしたから。てか俺こういう見た目なんで、ホストとかナンパ男とか基本チャラチャラした役ばっかりなんですけど、この前弁護士役やって!いや〜、まじセリフの量にびびりましたね。クライアントも俺の弁護士姿見てめっちゃびびってましたけど。頼んだのはそっちだってのに……」  男は一方的に話し続けていたが、「あー」と発声練習をする人や、おもむろに子どもを肩車する人を見て、周りの空気の変化に気が付いたようだった。 「あ!もう来るんすね」  それだけ言い残すと、少し慌てた様子で、男はレジ袋を片手に遠くへと消えて行った。 「次のクライアントは青木里帆、25歳。幼い頃からの憧れの、雑誌出版社の最終面接を明日に控えており、緊張してるようです。夫の青木浩人も一緒です。はい、5秒後に飛んで来まーす」 「5、4、3、2、1」
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