去年のクリスマスのこと覚えてる?

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テレビ電話の向こうに広がる清潔な空間。無機質なパイプの白いベッドが半開きの仕切りカーテンから覗く。壁には4年前に二人でやりきった5000ピースの夜景のパズルがかかっている。先程までそれらを背景にして映っていた年上の恋人の山田晶良(やまだあきら)は、ちょっとまってて、とマスクを着け部屋から出て行った。 山里凪子(やまざとなぎこ)は今がチャンスと記憶を掘り起こす。ついさっきまでのとりとめのない会話を反芻し、いつ彼が戻ってきてもいいように笑顔をはりつけたままじとりと背に伝う汗を感じていた。 “去年のクリスマスはさあ” 何気ない会話の途中、今年のクリスマスは会えないね、からつながっただけのセリフにうんうんと笑って頷いていた凪子は気が付いてしまった。 想い出せないです。想い出せないってなに?去年のクリスマス私達一緒に過ごしてましたよね?過ごしてた、はずよね?あれ?いやいや落ち着いて私。早く何か返さないと、たのしかったねえ?なら間違いないわよね?とりま “ごめん、呼ばれたみたい。待ってて。” はく、と空気を吐き出して、うん、と答えたのが今の話だ。 彼の居ない無機質な部屋を画面越しに眺めたまま凪子は焦っていた。 凪子は昨年の春、病院併設の看護科を卒業しそのまま就職した。2年間の学費をある程度免除する代わりに1年は本院に勤める暗黙ルールに何の疑問も無く有難く乗っかった。学費免除を受けず地元(好待遇)病院に大手を振って巣立った友人をたくさん見送り、あれ?なんか私間違えたのかも?と気付いたのは夏のボーナスが学費返済にあてられ実質プライスレスだったからだ。もちろん泣いた。大泣きだ。しかし毎年のことで慣れている師長に食堂で特Bランチを奢られてあっさり立ち直る。きらきらと目を輝かせ“憧れの特ランチだー”と両手を胸の前で組みありがたがる新米白衣の天使がチョロすぎて、師長はプリンも追加し与えた。神様上司様師長様ですね!とテンション高い凪子に、もう1年退職しない代わりに冬のボーナス貰うかい?と誘導、いや優しく導き、なぜかたまたま持っていた雇用書類にサインさせ、小児病棟用のポケットに忍ばせている飴ちゃんを渡した。師長はいいひとですねー!と先輩看護師に言い回る凪子は、その夜事務長にバーで奢られる師長を知らない。地方自治の病院はいつだって人手不足。 そうだわ。冬のボーナスで晶ちゃんに何かあげたかなあ。手袋。晶ちゃんに手袋を贈った。思い出した。送って、そしたら晶ちゃんからも臙脂色のミトンの手編みが送られてきて、以心伝心だね!って、あれ?でもそれって付き合う前の話だったかしら?それは一昨年のまだ私も晶ちゃんも学生だった時だ。あれ。やばい。去年のクリスマスは?ボーナス貰って、それで、でも私だもん、間違いなく晶ちゃんにプレゼント用意したはずで。 凪子は焦る。全く想い出せない。ちょっと待ってて、と出て行った晶ちゃんが戻ってきたら何て言おう?焦りすぎて笑いたくなりそんな不甲斐なさに泣きそうだった。
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