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「今日は、話題のこの方、山口明日香さんをお迎えしてお送りしました!」
カメラマンから発せられていた空気が、ふっと緩んだ。音響さんが高く掲げていた、おおきな綿のような、動物の尻尾のようなマイクが降ろされる。
「お疲れさまでーす!」
ディレクターがプラスチックのお盆にお茶を入れて持ってきてくれた。今日の局はいやに丁寧だ。先週、別の民放に出た時には、夕方番組のロゴが入ったメモ帳とティッシュをもらっただけだった。
今、この生き方が新しい
信頼関係がなせるライフスタイル
将来に不安はないの? 本人を直撃!
これは全部私についての見出しだった。褒められているのか、暗に貶されているのかよく分からない。掲載誌面のある雑誌や新聞は寄贈されたり、自分で買ったりして取ってある。それらを収納している物置の一角はどんどん埋まり、トイレットペーパーや水のストックなどを圧迫し始めている。
「なんでなろうと思ったんですか?」何度も聞かれた問いだった。
その度、「仕事をしていたんですが、体調を崩して」とか「子供がなかなかできなくて、不妊治療を続けるために」とか「激務の夫を支えるために」と言ってきた。どれも正しいけれど、どれもちょっとだけ本当じゃなくて、毎回後ろめたい気持ちになる。
令和を頂く天皇の譲位がいつになるかとささやかれる今、私は日本で最後の専業主婦だった。
ほんの数十年前は、私のような専業主婦ばかりだったらしい。男性一人の収入でも十分家族を養っていけるぐらいの収入があり、女性は結婚したら退職して家に入るのが当たり前だったそうだ。そんな専業主婦は極端な少子高齢化で一旦は絶滅した。保育園や介護施設にはロボット保育士や介護士、AI技術が多数導入され、育児や介護は家庭の外に出された。妊娠だって、外注する人がいる時代だ。
上司に仕事を辞めるといった時、「次の勤め先はどうするの?」と聞かれた。当然の問いだった。「永久就職するんです」と、専業主婦について調べていた時に知った単語を告げると、上司は明らかに意味が分かっていないのに、分かったような顔をして「ふーん、いい会社選んだんだね、定年がないなんて」と言った。
私は繭につつまれたように、ぼんやりと暮らしたかっただけだ。
だけど、今私は皮肉にも「専業主婦である」ということによって、会社員時代以上に収入を得ている。何が面白いのか、私を取材したいというテレビ局はひきもきらないし、夏には私がモデルのドラマまで放映されるらしい。原作者ともいうべき、私に支払われる報酬はバカにならない。
でも、記事を書いたりインタビューを受けたりしているせいで、最近専業主婦的な活動が全然出来ていない。パン焼き用の型は戸棚に仕舞ったままだし、ぬか床はダメにしてしまった。それでは、専業主婦は、専業主婦という仕事なんですと言えないじゃないか。
「外で働いた方が『専業主婦』できるかもなあ」
私は転職サイトを物色しようとタブレットを開いた。
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