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「散らかし」のレッスン
まずは短期に、一気に、散らかしを完了させてしまうことがポイントです。
人間、放っておいても散らかしは完了してしまうものですが、「大切なもの」と、「単なるゴミ」とに、一体どんな差があるというのでしょう。
まず、「散らかった状態」には、以下の大きなメリットがあります。
:大切なものが見つからない
:用事が終わった後に、必要だったものが見つかる
:部屋の端から端に移動するのに、やたら時間がかかる
:捨てるものと捨てないものの区別がつかなくなる
:友人が寄り付かない
:同居人がいる場合、限りなく険悪な仲になる
:エアコンをかけると埃が舞う
:部屋で孤独死してても半年ほど気付かれない
これら全てが、「散らかしの魔法」です。
さて、先ほど私が言った「大切なもの」と「単なるゴミ」の差ですが、両方とも物質として存在しているという点から言うと、全く差はないと断言できます。
大切なのは、あらぶる心です。部屋が汚いことで、心に臨戦態勢のスイッチが入っていることが重要なのです。
「領収書はどこに行った」
→ 「その辺に積まれている中あたりに」
「大切なチケットが見つからないんだけど……」
→ 「その辺に積まれてる中あたりに」
「こないだ貸したものはどこに」
→ 「その辺に積まれている中あたりに」
ここで他人が怒っても動じてはいけません。日々、荒ぶるために散らかしを続けている以上、張られたら張り返す、グーで殴られそうになったら、そのパンチはクロスカウンターで相手の顎を打ち抜く。
「生きている!」って、実感しませんか?
こじんまりと、片付けを達成していては、とうてい到達できない世界です。まずは、あなたの中の、大切なものと大切でないもの、それの境界を取っぱらってください。この世で大切なものは、心の奥にたぎる「あらぶり」です。それを常に意識するためには、部屋は散らかっている必要があるのです。
私は、「散らかしコンサルタント」として、日々散らかしのレッスンをしています。
私にレッスンを依頼される方は、散らかしの素質のある方ばかりですが、「それでもやはり片付けた方がいいんじゃないか……」「大家から『そのゴミ屋敷は何とかしてください』と怒られる日々です」などと、かなり切実な悩みを抱えている方が、少なくありません。
しかし、私は必ずこう言います。
「いまある物の、倍は散らかしましょう! 人生はチャレンジだ! チャンスは握り潰せ!」と。
そうして片付けを諦めた人に話をすると、「どうして私は片付けなんてしようと考えていたんだろう」と虚な目で話してくださったり、大家さんから強制的に家を追い出されたりする方もいます。皆さんに共通するのは、「人生があらぶった結果、次の一歩を踏み出す」選択が出来た、ということだと私は信じています。
ちなみに、私のレッスンを受けた方の、リピーター率はゼロです。リピーターのお客がいないと、ビジネスとしては致命的のようにも思えますが、私の完璧な散らかし術によって、常に予約は半年以上先まで埋まり、「キャンセル待ちリスト」まで作らなければならない事態になってしまいました。いかに時代が「あらぶり」「散らかし」を必要としているか、このことで分かっていただけたかと思います。
当然ですが、半年以上先まで埋まった予約リストは、どこかの部屋の中の山の中にあって、探し切るのに半年以上かかっている状態です。「キャンセル待ちリスト」に至っては、つい昨日、3年前のリストがたまたま出てきました。あわてて連絡を取ったのですが、3年も経てば、散らかしは一定以上進んでいるのでしょう。電話にて、「もういいです」という言葉を聞くたび、「この国はまだ捨てた物じゃない……」ということを、実感せざるを得ません。
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