好きなものの話

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好きなものの話

白を基調とした無機質な通路。 床はモスグリーンで、木目調の手すりを掴み先を歩く仄を追いかけた。 「大丈夫?無理に歩くとよくないんじゃ」 「大丈夫。ゆっくり歩けって言われてるだけ」 隣を歩く祠にそう言うと行き当たり吹き抜けの横にあるエレベーターに乗り、ロビーに降りた。 「ここでいいよ」 着いてすぐ祠は振り向く。 「うん」 「じゃ、また来るから」 手を振り歩き出す祠に頷いて手を振り返すとその背中が自動ドアを潜るまで見送った。 小さく溜め息をつく。 祠の言葉が脳裏に浮かぶ。 「...生きてたら」 きっとここにはいないだろう  そんなことを思いながら振り返りエレベーターのボタンを押そうとして、ふと手を止める。  ピアノの音が聞こえた。 数音聞こえただけの足音のようなものを視線でたどり振り向くと吹き抜けの太い支柱に 隠れるようにひっそりと置かれた物に気づく。 子供が机代わりにパックジュースを置いて 飲んでいた。 母親が会計を終えたのかカウンターから声をかけ、子供はジュースを手に取り駆けていく。 仄は誘われるようにピアノに歩み寄った。 観葉植物と柱に隠されるように置かれたそれはうっすらと埃を被っている。 夕日は沈み、人の流れも少なくなったロビーに、鍵盤を押すと静かに響いた。      ◇   ◇   ◇ 自動ドアを抜けるとピアノの音に顔を上げた。 「ピアノなんてあったか?」 隣に立つ弟も不思議に思い顔を見合わせた。 音のする方向には人だかり。 聞き覚えのある曲だった。 確かNYに仄を連れていった時に弾いていた 「ドビュッシー..」 歩み寄り呟くとピアノ奏者の後ろ姿が見えた。長い黒髪にパジャマ姿の見知った少女 「本当に弾けんだな」 仙寺が感心しながら歩みを進める。 黒い手袋をつけた指は流れるように音を奏で、ふと止まる。 ..やっぱりか 指を握り締め演奏を中断した仄を見つめる。 あのときと同じ。 おそらく父親が死んだ日に弾いていた曲なのだろう 「仄」 仙寺はお構い無しにピアノに向かって声をかける。手を握り影を落としていた仄もその声に振り向くと顔を赤くしつつ立ち上がった。 「誰にでも取り柄があるんだな」 「どういう意味」 意地悪に仙寺が笑うと仄は口を尖らせた。 「夕飯はもう食べたか」 硯も二人に歩み寄ると病室に向かい歩き出す。 「うん、祠もさっき来てた」 エレベーターに乗り込むと仄は嬉しそうに言った。 「順調にいったら退院早くしてくれるって」 「自宅養療にしてもいいってだけ」 喜ぶ仄に硯がしっかりと釘を刺す。 「まだ10日は安静にしてないと、帰ってからも仕事や家事はダメ」 「....はぃ」 しょんぼりと返事をする仄の頬を仙寺がつねった。 「だからこうやって泊まりに来てやってんだろ」 「別に寂しいわけじゃ..」 仄が言うと手を離し病室に向かうと仙寺は ドアを開けた。 「じゃあ俺は仕事だから」 硯がそう言い仄が いってらっしゃい と手を振る。 「休憩入ったらまた来る」 「寝てるっつうの」 仙寺が即座に答えると ああそうか と硯は呟いて職場へと向かった。 「最近夜勤多いね」 病室のドアを閉めながら硯の体を心配する。 「夜勤の方がお前見に来れるからだろ」 「..へ?」 ベットの隣に付き添い用の布団を出して仙寺は続けた。 「なんだかんだ心配してんだよ。 お前目離すとすぐどっか行くし」 「...」 罰の悪そうに黙り込むと仄は大人しく正面のベットに腰を下ろした。寝床が整い、病室のテレビをつけ仙寺は辺りを見回す。 「なんだこの大量の菓子と本は」 部屋の隅に山積みとなった紙袋に溜め息をつく。面会謝絶が解かれたと聞いて平政の皆と祠が連日来ては置いていってくれた物。 「食べれないって..言ったんだけど」 「...良かったな」 仙寺は呟いて目に止まったお菓子を手に取り封を切る。 「皆心配してくれたんだから早く治して 帰ってこいよ」 クッキーを頬張りながら仙寺は言って、照れくさそうに仄は頷いた。
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