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葉月 巴
巴は新幹線の車窓から外を眺めていた。
少し暖かくなってきた季節。もう厚手のジャンパーも必要ない。普段、彼女は仕事柄スーツを着用する事が多かった。しかし今日は、比較的ラフな格好で出かける事にした。ジーンズ生地の上着にコーディネイトした短いスカート、黒いタイツと運動靴。いつも束ねている髪の毛をほどいて長い髪を背中の辺りにr垂らしている。珍しく少し赤いリップを綺麗に引いている。気分転換も兼ねて、いつもと違う格好で旅に出ることにしたのだ。
今回は、職場で片思いしていた同僚の男性が突然、結婚する事を聞いてショックを受けていた。片思いと言ったが、巴はずっと相手も自分に気があると思っていたのが本音であった。しかも、彼のお相手は巴と同期入社の中の良い同僚女性、彼女から彼と付き合っているという話は聞いた事などなかった。その、衝撃により溜まっていた有給を一気に消化して、一人傷心の旅行をする事にした。
「あああ、康弘さん・・・・・・・・」その名前を呼びながらガクリと頭をうなだれる。ちなみに康弘というのが、彼女が失恋した相手の名前であった。
「あ、あの・・・・・・・・、隣、宜しいでしょうか?」二人掛けの通路側の席を男性が指さす。どうやらこの男性は、この指定席を購入しているようであった。その隣に座る様子の変わった女の姿に、少し引き気味なのかもしれなかった。
「あっ、どうぞ、ご遠慮なく」少し涙目になっていたので、男と目を合わさぬように、窓の方を見つめながら返答をした。
「ありがとうございます」男は爽やかな声でお礼を言うと、席のうえにある物置に鞄を置いてから、巴の隣の席に腰を下ろした。
「ふう・・・・・・・・、しかし凄い人ですね。暖かくなってきたから人の移動が増えたのですかね。自由席はパンパンですよ」男は軽くため息をついてから、話しかけてくる。正直言うと、人と話す気分では無い巴にしてみれば、その言葉が少し疎ましい感じであった。
「そうですか・・・・・・・、皆さん幸せそうでいいですね」適当に返した言葉であったが、なんだか後ろ向きな言葉で自分でも少し呆れてしまう。
「そうですね。卒業旅行とかですかね。若い人達は羨ましい」なんだか自分が若くないと言われているようで少し巴はムッとする。
「ええ、私みたいなおばさんは、孤独な一人旅ですよ」なんだか棘のある言葉に男は少し訝し気な顔をする。
「どちらまでご旅行なのですか?」男は怯まず言葉をかけてくる。
「出来るだけ誰もいない・・・・・・・、あっ、いいえ岡山の・・・・・・・・たしか、高梁とかいう場所です」空気の読めない人らしい。えらくグイグイと質問をしてくるなと思い、その男の顔を初めて見る。
「あっ、高梁ですか?奇遇ですね!僕も高梁に用事があって向かう所なんですよ」男はニコリと爽やかな笑顔を見せた。
「えっ!」モロ好み・・・・・・・・、巴の先ほどまでの曇っていた表情が一気に快晴へと変わった。いや萎んでいたバラの蕾が一気に開いた。まさにそんな状態であった。
「どうかしましたか?」男は不思議そうな顔をして巴を見た。
「あ、あのお名前は・・・・・・・・?」巴はまるで口が児童で動くかのようにその言葉が飛び出した。
「あ、な、名前?僕の名前は刈谷 純一です・・・・・・・・あなたは?」唐突に名前を聞かれて、刈谷という男は驚いたようであったが、丁寧に名前を告げると聞き返してきた。
「と、巴・・・・・・・・、葉月巴です・・・・・・・」急におばさんの顔が汐らしい少女のような顔に変わった。
「巴さんですか・・・・・・・・。それじゃあ巴さん、しばらくの間、宜しくお願いします」そう告げると刈谷は自然な振る舞いで右手を差し出した。どうやら握手を求めているようである。
「こちらこそ・・・・・・・・、宜しくお願いします」彼女の失恋旅行が、虹色旅行に変わった瞬間であった。
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