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~2. 『月詠』TSUKUYOMI
カミナの様子はパニック発作を起こしている人とほぼ同じだった。
ルナはカミナの椅子を自分の方へクルリと回転させると、カミナの肩に手を置いたまましゃがんで声を掛けた。
「カミナくん、落ち着いて。大丈夫?ゆっくり私を見て」
天野もカミナの異常事態に我に返り、その様子を見ながらカミナを記憶ではなく今現在に引き戻す様に働き掛ける。
「カミナ君、ここがどこか分かるかい?」
「…… ここは…… 大学……」
「そうだ、大学だ」
ルナも静かに質問する。
「私の名前、言える?」
「あなたは……灰月……灰月…ルナ…」
カミナはルナの顔を見ながら確認する様に答えた。
「そう。カミナくん、ここへは何をしに来たの?」
「……ここ…へは………手当て…修理…に…」
カミナはここへ来た目的を再確認した。
「そう、カミナくんを治療に来たのよ」
段々とカミナは落ち着きを取り戻して来た。
「……そう…僕はここで検査してもらって、修理をしてもらいに… 来ました…」
天野はルナの対応を見て、教え子が状況を冷静に分析し、何が障害になってこの様な事になっているかを理解し、それをどう取り除くかを実践している姿に感心した。
' 灰月君はちゃんと冷静に基本分析と対応を身に付けているな… 大した物だ… '
ルナは医学的知識は無かったが、カミナに起こっている状況を瞬時に判断し、その原因になっている「記憶の混乱」から現実に引き戻す為に必要な処置を自然に行っていた。
天野は高度な人工知能にもこの方法がある程度効果がある事を目の当たりにした。
「カミナ君、大丈夫かい?」
天野は様子を見ながら尋ねる。
「… はい… 大丈夫です… メモリーへのアクセスが長期間上手く行ってなかったみたいです…」
' この話し方…… 間違いなく ' N.D.B. 'に拠る人工生体端末なのだろうな。 と言う事は…… '
「カミナ君、落ち着いてからで良いが、可能な範囲で構わない。君の身体を調べさせてもらえるかな?」
天野は好奇心も旺盛だが、カミナを慎重に扱う必要があると感じていた。
カミナは高度な人格を持っているし、非常に貴重過ぎる存在だ。
人類が失ったテクノロジーがカミナの中に在る以上、自分一人の名声の為にカミナを利用する事は非常に良くない結果を招く事になると直感的に理解していた。
「灰月君、私は今日の予定を全てキャンセルして彼を診させてもらうよ」
「あ、有難う御座います教授!」
ルナは想像以上に教授が理解を示してくれた事に感謝した。
「私は予定のキャンセルの連絡をするから、その間に灰月君は西谷君を呼んで下さい」
「西谷先輩をですか?」
「君は彼女と仲が良かったね。いきなり考古科学学科の教授陣を呼ぶと大事になるからね。西谷君の知見が役に立つと思うんだよ」
' 天野教授は本当に人間関係を良く見ておられるわ… '
ルナは天野のその人間性にも敬意を抱いていた。
「分かりました。すぐに呼んで来ます!」
「あぁ、彼女も暇じゃないだろうから、私が来て欲しいと言ってると伝えなさい」
「了解致しました! じゃ、カミナくんちょっと待っててね…」
そう言うと研究室を出て西谷の下に向かった。
「…… 灰月君はこの部屋の内線使わないのかな?… 」
天野はルナの背中を見送りながらそう呟いた。
カミナに少し笑顔が戻った。
~.
天野は早速今日の予定のキャンセルの連絡を済ませると、カミナの所に戻って来た。
「落ち着いて来たかな?」
静かに声をカミナに掛けた。
「有難う御座います…… 天野教授、ボクの身体を診て頂いてもよろしいですか?」
カミナは先程の件からまだ10分も経たないのにすっかり大丈夫な様子だ。
天野は心配したが人間ではないからこんなものなのだろうと思った。
それはある意味当たっていたが、それは非常に高度なテクノロジーによって実現されている事だった。
「それは勿論大丈夫だが、カミナ君はもう良いのかい?」
「はい、お願いします」
そう言うと上着とシャツを脱いで天野に背中が見える様に腰掛けた。
「では、解放します」
そう言うと、先程はうなじの部分が蓋状にしか開かなかったのが、今回は首から肩甲骨辺りまでを背骨を中心にして両サイドに皮膚、筋肉を掻き分ける様に順番に大きく開いて行った。
その様子はまるで人体の開腹手術を生で見ている様な感じだった。
天野は生まれて初めて見る脅威のテクノロジーに言葉が出なかった。
「天野教授、これくらいで見えますか?」
「あ、ああ… 」
カミナの声に我を取り戻したものの、余りの事に何をどう話したものか困ってしまった。
「…とりあえずカミナ君。どの部分が故障してるんだい?」
まずは聞きながら進める以外になかった。
「ここです」と指さした場所はやはりうなじ部、人間で言う頚椎にあたる部位だった。
基本的な構造は人間の背骨の様に縦にブロック状のボックスが並んでいた。
材質は金属的でもあり、樹脂的でもあり、見ただけでは分からなかったがカミナの指先のボックス部だけは外圧に拠ると思われる変形が見てとれた。
「カミナ君が指さしている部分は確かに変形しているね。君はこの部位の何が故障しているか自分で分かるかい?」
「いいえ。ルナさんの家でも同じ事を聞かれましたが、異常信号が出ているだけで何の異常なのかボクにも分かりません」
' これだけ高度なテクノロジーで出来ているのに自己診断が出来ないのは何故だ?自己診断機能自体が破損しているのか?'
疑問に思ったが、ならば目で確認するしかない。
「カミナ君のこの部分、素手で触れても大丈夫かな?」
「はい、問題ありません。ナノコートで保護されてますから心配要りません」
確かにナノコートで保護されているのなら、埃が着いても問題にすらならない。
「じゃあ少し触らせてもらうよ」
「どうぞお願いします… 」
天野は指先で問題の部位を触れてみた。
' 冷たくはない… 感触は確かに骨の様な硬さがあるが、金属でもないな… '
材質の感触を確かめると天野は次にその部位を指で小突いた。
'コンコンッ '
中に空間がある反響音が響いた。
' この中に問題が在りそうだ '
「カミナ君、この部分の中を見たいんだが… ここは開けるかい?」
「分かりました。少し待って下さい」
天野が見ていると観音開き出来る様な感じでラインが走った。
小さく軋む音がした。
「…天野教授、すみません。変形しているせいか上手く開きません… 強制的にこじ開けて頂けませんか?」
なるほど、確かに変形していては開かないなと納得したが、こじ開けても大丈夫だと言う言葉が天野は少し面白く感じでいた。
' 超ハイテクを超ローテクで触るのか '
そのギャップが面白かったのだ。
「分かった。やってみよう。精密ドライバーでこじ開けてみるが、良いかな?」
「はい、大丈夫です」
天野は精密ドライバーのマイナスドライバーの中で一番細い物を用意し、軋む隙間に用心しながらも少し無理に差し込んだ。
すると左側が「パカッ」と開いた。
ここまでくれば右側も簡単に開く事が出来た。
「ヨシッ!」
天野はそう言うとドライバーを仕舞い、ポケットからミニライトを取り出し中を覗き込んだ。
~.
ルナは西谷の研究室を訪ね、天野教授から頼まれて呼びに来た旨を話した。
「分かったわ。ウチの教授にちょっと許可取ってくるから待ってて。… でも灰月さ、内線で連絡くれたら良かったんじゃない?」
「あ…… 」
ルナは頭を掻いて照れ笑いで誤魔化した。
「ま、呼びに来てくれた方が嬉しいけど」
西谷は笑顔で言った。
そして少し離れている天野の研究室への道すがら、簡単にカミナの事を話した。
勿論内密にと言う事もあったからだ。
簡単に話したと言っても西谷にはその内容はにわかに信じ難い話だった。
しかし天野教授が自分を内密に呼んだと言う事が、それが事実である事を示していた。
' まさかさっきの男の子がそんなとんでもない子だったなんて…… '
二人は足早に天野研究室に入った。
するとそこには驚愕の光景が待っていた。
驚いたのは西谷だけでなくルナもだ。
「カ、カミナくん!?」
ルナは背中がバックリ開いたカミナを見て声を上げた。
「天野教授、西谷参りました」
「やぁ、西谷君。呼び立ててすまなかったね。こっちに来てちょっと見てみなさい」
「はい、失礼します」
西谷は天野が覗いていた場所を覗き込んだ。
「これは!」
「見覚えがあるんじゃないかね?」
西谷は少しの沈黙の後、コクリと頷いた。
「天野教授、これは量子ネットワークの装置に酷似しています…… 」
ルナは完全に置いてきぼりだ。
そもそもカミナのこの外科手術をしているかの様な背中に圧倒されていた。
「… カミナくん、大丈夫なの?… 」
「大丈夫ですよ、ルナさん」
カミナは振り向けずにいたがルナに答えた。
天野はやはりかと言う顔をして話し始めた。
「カミナくんは自分の歳を178歳だと言った。これはつまり… 」
「… 月の涙事件より以前ですね…… 大まかに彼の事は灰月さんから聞いています。状況から考えると彼が言う故障とは、量子ネットワークの破損に拠る、量子コンピュータとの接続が切断された事を言っていると思います 」
ルナはちょっと何を言ってるか分からない状態になっていた。
' 月の涙事件と量子ネットワークの破損がどう繋がってるの??'
天野は西谷に尋ねた。
「君のとこの研究室は… 確か月詠と繋がってたよね?」
「…は、はい…… しかし月詠は量子コンピュータの補助演算システムです。量子コンピュータではありませんが… 」
西谷は天野がそれを知らない筈はないと訝しんだ。
「うん、そうだね。月詠は量子コンピュータではないね。でも君のとこの研究室のコンピュータは月詠とどうやって繋がってるんだったかな?」
「あ……」
そこまで言われて西谷も天野が何をしたいのか察した。
月詠と言うのは、西暦の時代に作られた量子コンピュータの補助コンピュータだ。
量子コンピュータと言うのはそれ以前の古典コンピュータとは全く異なる存在で、従来のスーパーコンピュータとは完全に別次元の演算処理速度を持っていたと言われている。
具体的には古典コンピュータの1億倍以上の速度が出たと。
しかし量子コンピュータも得手不得手があり、あらゆる「可能性」を組み合わせて計算し最適解を導き出す様な事は得意だが、物事を順序だてて行って行く必要のある計算などは古典コンピュータのスーパーコンピュータの方が得意であったとされている。
その為、双方を併用する事で様々な事態に対応が可能であったと言われている。
その双方の運用には指定された多くの端末同士を繋ぐ必要があった訳だが、その接続に量子ネットワークを利用していたのだ。
つまり、西谷の研究室のコンピュータは「量子ネットワークを再現した」と言う事だ。
そうであるならば、カミナの修理には西谷の協力が必須。西谷の研究室はそのノウハウやパーツを持っている
天野はそこまで瞬時に考えていた。
『月詠』との接続。それがカミナの修理の手始めなのだと……
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