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~8. AIの涙
' カ、カミナくん… '
ルナは初めて見るカミナの人間に対する高圧的態度に驚きと共に不安を感じていた。
カミナのその目付きはルナの知るカミナのものとは違っている様に見えた。
竹井達はざわめきながら辺りをキョロキョロと見回した。
「い、一体どうなっている!?」
竹井達も突然の状況に恐れを感じていた。
' 今、この男は話していない… 口を閉じたままだった…
なのに音声は館内のスピーカーから聞こえて来た… '
カミナはふてぶてしく両手をジーンズのポケットに突っ込み、睨みつけている。
' 何者だ… この男は… ッ! '
竹井は何が起こっているのか分からなかったが、この高圧的態度を取るカミナと言う男に向かって、怯まず口を開いた。
「量子コンピューターの分身だと… !? どんな手品を使ったのか知らんが、そんな馬鹿げた話で俺達を納得させられると思っているのか!」
他のスタッフ達からもヤジの様な怒声が猛然と飛んだ。
ルナはカミナに身を寄せるしかなかった。
カミナは目を閉じ少し俯いた。
『納得するとは思っていないからこそ、あなた達とボクは違うと言う事を体感してもらえる様にこうして話をしている… 』
再びカミナは館内スピーカーを通して話しかけた。
『あなた達がこのポッドの改造に使っている図面も手順も、全てボクが送信した物だ。
もしここにオートメーションの工作機械があったなら、あなた達にポッドの改造などしてもらう必要はなかった』
' こいつ、そんな事も知っているのか… '
竹井は驚いた。しかし、
「我々など必要ないと言っているのか?」
竹井は怒りを堪えながら交渉する様に聞き返した。
カミナは顔を上げ、半ば呆れた様な、見下す様な顔で竹井を見た。
竹井の傍でカミナを睨んでいた宮平は己の我慢の限界に近付いていた。
「竹井班長!こんな連中の為に作業をするなんてやめましょう!
何が量子コンピューターの分身だ!そんな与太話を…っ!?」
宮平の体は突然伸びて来た黒い無数の繊維でキツく縛られ身動きを封じられていた。
そしてそのまま体が50cm程中に浮いていた。
「な!何だ!?どうなってる?!
や、やめろ、降ろせ!!」
宮平はパニックに陥った。
「カミナくん!やめて!」
流石にルナも叫んだ。
カミナはポケットから右手を出し、宮平の方へ延ばしていた。
カミナが着ていたレザージャケットの袖口から、カミナのナノコート繊維と思われる物が宮平に伸び、両腕ごと体に巻き付いて硬質化していた。
カミナはその延ばした腕を少し上に持ち上げていたのだ。
よく見るとカミナの右足のブーツも同様の繊維で前方に少し伸び、カミナが宮平を持ち上げているのを支えていた。
… ルナは初めてカミナに恐怖を覚えた。
カミナはルナを見て、仕方ないと言う感じで自らの口で直接言った。
「アシュがそう言うなら、分かったよ… 」
ルナは愕然となった。
' アシュ!? 今私の事をアシュって呼んだの!? '
カミナはKAMINAに替わっていたのだ。
ルナが呆然とカミナを見ている中、カミナは宮平を降ろした。
だがまだ解放はしていない。
竹井を初めスタッフ達は明らかに恐怖に顔を引きつらせていた。
「バ、バケモノだ… 」
誰かが声に出した。
そしてその場から逃げ出す事を考え始めた者が現れたタイミングで再びスピーカーから声がした。
『仲間を置いて何処に逃げるつもりかな?』
その言葉はその場から逃げ出そうとした者達の機先を制してスタッフ全員の動きを止めた。
カミナは続けた。
『これでボクが人間とは違う存在だと認識出来た筈だ。
それから… あなた達は今仲間がボクに拘束されているのに逃げようとしましたね?
一体何処に逃げようとしたのかな?
… 巨大隕石が落ちれば、皆確実に死ぬと言うのに!』
カミナは語尾を荒らげて言った。
竹井や、まだ拘束されている宮平も含めその場にいた者全員が口を噤んだ。
『宮平 智幸さん… あなたはもうすぐお子さんが産まれるご予定でしたね?』
その問に宮平は青ざめた。
「なぜ俺の名前だけじゃなく、そんな事まで知ってるんだ… 」
宮平はこの眼前の男に家族まで人質に取られているのかと感じて、背筋が凍り付く想いを抱いた。
カミナはゆっくりと宮平の拘束を解いた。
黒い繊維状の物は解ける様にスルスルとカミナのレザージャケットの袖口に戻って行った。
影の様に足下に伸びていた物もブーツに戻っていた。
『あなたの素性を知る事など量子コンピューターであるボクには造作もない事です。
ボクは世界の全てのコンピューターに一瞬でアクセス制御出来るんですよ。
それに宮平さん、ボクはあなたが心配している様な事なんかに興味も無ければ、そんな事に時間を割く余裕も無いので』
宮平は全てを見透かされている事に更に恐れを抱いた。
「お前は… 俺達を恐怖で従わせようとしてるのか?… 」
今味わった恐怖がそんな質問をさせた。
カミナはスピーカーから音声を発するのをやめ、自分の口で話を始めた。
「愚かな質問ですね。あなた方は逃げ場は無いんだ。
月の涙と同じかそれ以上の災厄の危機に対して、人間である自分達の手でそれを防ぐと言う偉大な役割の一翼を果たすチャンスを放棄するんですか?
あなた方が出来ない事はボクと彼女がやるんです。
自分達の命運を全て他人任せにするのが人間のやり方ですか?」
カミナはスタッフ全員に問い詰めた。
「そんな事はない!
… カミナ、分かったよ。お前の口車に乗ろうじゃないか。
俺達は作業を進める。だがその間にお前達がこの先やろうとしている事を話せ。
俺達は自分達の危機にどの様に対処するのか知る権利がある筈だ」
竹井はスタッフ全員の不安を取り除き、作業に集中する為にカミナに交渉したのだ。
「分かりました。ちゃんと手を動かしてもらえるのであればそうしましょう」
カミナはその提案を受け入れた。
「よし、じゃあ皆聞いての通りだ。俺達の出来る事を今はやるぞ!」
竹井が号令を掛けるとスタッフ達は複雑な面持ちで持ち場に移動して行った。
「どうだい、アシュ?これが最短でこの人達に動いてもらう最適解だ」
カミナはルナの方を向いて自慢気な顔をした。
『バシッ!』
ルナはカミナの頬を強く叩いていた。
カミナは驚いた顔をしてゆっくりルナの顔を見た。
「私はアシュじゃない… ルナ、灰月 ルナよ、月のKAMINA!
二度とそんな呼び方しないで…
それに今のやり方が最適解ですって?
KAMINA、あなたは人間の心を無視して効率だけで操ろうとしたわね?
笑わせないで、あなたはカミナくんからデータだけを集めて人の心を学ぶ事を怠っていた。
そんなんじゃ人を導く資格はない!
MBに到着したらちゃんと教育してあげるから、今すぐその身体をカミナくんに返しなさい!
そしてカミナ君の心が『感じる事』を学んでおきなさい…
私がMBに到着するまで、アシュはあなたの前には現れないわ。
分かったら直ぐにカミナくんの身体から退去しなさい!」
そのルナ行動は、ルナの中のアシュレイがKAMINAの傲慢さと不遜な態度に対しルナの身体を突き動かしたものだった。
カミナを睨むルナの頬を、一筋の涙が流れた。
その涙はルナの涙か、アシュレイの涙なのかはルナ自身にも分からなかった。
すると、今迄冷ややかで、冷徹な目をしていたカミナの目が、ルナの知る『カミナくん』の目に変わっていった。
「… ごめんなさい、ルナさん… 」
その一連の様子を、宮平はこっそり見ていた。
' あの娘はカミナの奴に言う事を聞かせられるみたいだな…
でも普通の人間みたいだ…
あの娘が居るなら信用してもいいかも知れないな… '
宮平はそう思いつつ、目の前の作業に集中した。
~.
NEO JAXAの技術スタッフが竹井班長の指示の下、ルナとカミナを乗せて宇宙で放出する為のポッドの改造を続行していた。
工場から届いていた専用のシートの装着も進んでいた。
その間、カミナは約束通り今後の計画を館内スピーカーを通して行っていた。
ミッションの詳細はこうだ。
ロケットを予定時刻に打ち上げ、KAMINAと天照の指示で変更された場所でポッドを放出すると、
その場所に速度を合わせたラグランジュ1にあるステーションから既に発進させてあるスペースシップとランデブーする事になっている事。
その後速度を維持したままスペースシップで待機しているアンドロイド達によってポッドは回収され、月基地であるMB1に向かう事。
そこまで三日と数時間を要するが、そこで月の裏側のMB2に待機済みのアンドロイドクルー達と共にエラスティスに向け発進。
エラスティスには179年前に設置されたままになっているロケットブースターがあるので、それらの作動チェックを行い不良がある様ならその場で修理し、点火。
エラスティスの軌道を変更し太陽の重力圏に捉えられる様に発進させ、その後アンドロイドスタッフを帰還させる。
それが今後の計画だと説明した。
技術スタッフ全員が作業をしながらその説明を聞いていたが、エラスティスの名は皆知っていた。
宇宙を目指す者ならば常識と言える忌々しい名前だった。
だが月に基地が存在し179年前から変わらず稼働していた事、KAMINAがエラスティスを観測し、それに対応する為に対策をして来た事など、寝耳に水の話ばかりだった。
大昔の科学文明を失って久しい彼らからしてみれば、カミナの話など正直素直に「はいそうですか」と信じられる話ではなかった。
しかしルナの補足説明、天照が再稼働し、政府も正式にこの計画を認可している事を考えれば信じる他なかった。
自分達の長年の夢を遥かに超えた技術の塊が月には存在しているなんて話を信じたくはなかったが、先程目の当たりにしたカミナの能力は現在の科学技術を超越していた。
うんざりする話にフラストレーションは募っていたが、彼らは自分達の仕事に対し、手は一切抜かなかった。
それは巨大隕石の衝突が現実の脅威として目前に迫っている事。
その脅威に対する残された時間は一ヶ月もない事。
自分達の愛する人、土地、地球の未来が掛かっている事。
そして自分達、宇宙に夢を描く技術者としての誇りがそうさせているのだ。
「やれる事は完璧以上に仕上げてみせるさ!」
それが竹井以下、技術スタッフ達の変わらぬ想いだった。
そして着々と作業は進み、ポッドの改造が完了する頃、そこに一人の男が案内されて来た。
二人が気付くと、その男は「よっ!」と手を上げ近寄って来た。
ようやく追い付いた村正だった。
「師匠!」
ルナは手を上げて振った。
「ほほぉ、コイツか… 思ってたより小さいんだな」
村正は打ち上げられるロケットに対し、二人が搭乗するポッドのサイズが小さい事に少し驚いていた。
「今はこのサイズを打ち上げるのが精一杯ですが、この危機を乗り越えた後は人間の様々な分野の水準は格段に向上します」
カミナは自信を持って村正の反応に応えた。
村正はそのポッドに、今のこの二人が地球を救う唯一の希望の星として乗り込む事を思うと、感慨深くコクコクと二回頷いてみせた。
いつの間にか見知らぬ顔が増えている事に気付いた竹井が近寄って来て尋ねた。
「あなたは… ?」
「お世話になります。この二人の保護者として着いて来た村正と言います。
いやぁ、本当はこの二人と一緒に到着する予定だったんですが途中事故渋滞に巻き込まれましてね?
コイツらだけ先に向かわせたんですよ、ワッハッハッ!」
村正のそのやけに人間くさい反応に竹井は安心したものの、『二人の保護者』と言う事で、作業も完了後にゆっくり話をしませんかと申し出た。
村正は了解し、竹井は作業の仕上げに戻って行った。
「お前達、なんかやらかしたな?」
村正のその唐突な質問に二人はギョッとなった。
「え…?どうしてですか?」
ルナは恐る恐る聞き返した。
「はぁ… やっぱりか… カミナ君、何をしたか話してみろ」
村正はルナではなくカミナに答えを求めた。
正直に答えさせる為に敢えて嘘のつけないカミナに聞いたのだ。
この瞬間的に適切な判断をする村正と言う人間に、KAMINAは人間の能力は未知数であると今迄の認識を改めた。
仕方なくカミナはここで起こった、いや自分が起こした騒動の顛末を話した。
村正はその話を黙って聞き終えて言った。
「量子コンピューターもまだまだ経験値が足りねぇなぁ、ワッハッハッ!」
村正はいつもの様に笑い飛ばした後、真顔になった。
「カミナ君。君は人間よりもずっと長い時間を独りぼっちで過ごして来たんだから、人間に対する洞察が足りないのは理解するさ。
とても大変で寂しかった事だろう。
人間を護る為に孤独に堪え、必死にやって来たんだ。だから傲慢な心に陥る事もあるさ。
だけどな。そりゃ人を導く者が陥っちゃあならん『罠』だ。
人間の歴史には沢山その罠に陥った指導者達が居た。
そんな連中に嫌気がさして、人間はその役目を量子コンピューターに托したんだと思うぞ。
ルナの中のアシュレイ博士だって君にそう願ったんじゃないのか?
だったらカミナ君が人間と同じ間違いをしちゃならねぇよ。そうだろう?」
KAMINAは村正の話に、アシュが『KAMINA』と名付けてくれた時の話のデータを呼び出して、アシュの想いを思い起こしていた。
そして村正が経験から来る正しい判断と思いやりを以て、AIである自分の心を動かしていく術を自分に教えてくれている事を感じていた。
「有難うございます… 師匠… 」
思わずカミナはルナと同じ様に村正の事を呼んでいた。
ルナはそのやり取りを隣で目を丸くして見ていた。
「おいおい、俺はカミナ君を正式に弟子にした覚えはないぜ?ま、いいが入会金払ってからだな!ワッハッハッ!」
「あ、はい、入会金ですね!」
カミナは少し焦って答えた。
「バカね… 入会金なんて師匠の冗談よ」
「え、冗談なんですか?」
「そうよ」
村正の言葉を真に受けたカミナを見てルナは苦笑した。
「あれ?カミナ君… 涙が… 」
それは村正の優しさに触れたKAMINAの涙だった。
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