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~11. 宇宙のルナ
新星暦0049年(NE0049) 11月8日17:25
NEO JAXA 新種子島宇宙センターの発射管制室は思いの外静かだった。
静かな理由は、カミナによる打ち上げ手順の猛烈なスピードにスタッフ一同手出しが出来なかったからだ。
カミナについては色々と懐疑的だったスタッフも多かったが、現実に目の前のモニターに映し出される表示やランプを目で追うのは不可能だった。
それは確実にカミナが人間ではない事を証明していた。
だから黙って見ている事しか出来ないのだ。
そのカミナとルナは現在既にHi-F1ロケットのおよそ58m付近にフェアリング内に格納されている『サジタリウス』のコクピットに乗り込んでいた。
ハニカムサンドイッチ構造のフェアリングに突貫工事で付け足されたハッチには、現在の人間にとってはカミナによってもたらされた未知の素材で完璧に密閉される様に出来ていた。
そのフェアリングのハッチを開くとサジタリウスまでの距離は数十センチしか無いが、サジタリウス側からのハッチがフェアリングとの隙間に橋渡ししてあった。
そこからコクピットに繋がっているのだが、二人乗りにしては少し余裕があった。
ツーシータースポーツカーよりは広さがある。
二人が着込んでいる宇宙服と言うには余りにもスリムな服は、敢えて日本語で表現するよりもパイロットスーツと表現した方がスマートな印象を与える様な物だった。
そのスーツのお陰でルナにとってはコクピットの居心地も差程悪くはなかった。
「発射台注水開始… 」
カミナが静かに告げる。
発射台下部のロケットバーニアの下部に注水が開始された。
現在Hi-F1ロケットには順調に燃料である液体水素(LH2)と液体酸素(LOX)が充填されていた。
充填率は80%を越えているが、満タンにするのは発射の僅か1分前にしてある。
気化して目減りするのを防ぐ為だ。
LH2の沸点は-252.6℃で、LOXの沸点は-183℃と、非常に低い為、燃料注入を行っている付近からはドライアイスの様な冷気が下方に流れているのが見える。
ロケット自体もその冷気により表面には周囲の空気が凍り付き、氷が膜の様に張り付いている。
その極端な冷気によって電子部品が故障したりしない様にヒーターの作動状況は常に監視されている。
ルナとカミナの目の前にはタッチパネル式のモニターがあるが、カミナは触れる事すらなく目まぐるしく操作していた。
カミナはその速度故に既に数十万回もチェックをしていたから、隣に居るルナの目からは常時チェック状態にある様に見えていた。
それは発射管制室のスタッフも同様だった。
龍野もその様子を静かに見守っていた。しかし焦ってもいた。
「… 全て順調だな… 問題は天候だが… 」
現在の新種子島宇宙センター周辺、及び上空の瞬間最大風速は18m/sに到達していた。
' 頼むから20m/sに到達する前に打ち上げさせてくれよ! '
竹井もそう願っていた。
台風17号の中心は現在沖縄の旧宜野湾市付近にあった。
直線距離で約550kmの距離だ。
段々と速度を上げて北上している台風17号の端はそろそろここ、新種子島宇宙センターのロケット発射場に届きそうな状態にあった。
旧宜野湾市と言うのは『月の涙事件』の際に沖縄本島は隕石の直撃の為にクレーターになっていた。
現在は抉れた所に海水が流れ込み、湾が本島内陸に出来ている。
沖縄出身の宮平は実家の心配と自宅の心配もしなくてはならなかった。
' 無事でいろよ… '
台風には馴れている宮平だったが、沖縄に来る台風の威力は九州に上陸するソレとはまったく違う。
ましてや関東に上陸する台風など、宮平からしてみれば『ちょっと風が吹いてるねぇ』程度の感覚なのだ。
だから出産を控えている妻や実家の両親の心配もあったが、この規模の台風なら大丈夫という思いもあった。
昨夜電話で会話も済ませていた。
しかしロケット打ち上げはそうは行かない。
故に今は目の前のロケットの打ち上げが一番の心配事だ。
正式に今日打ち上げを実行する旨を政府が発表した事で、現在打ち上げから5km程離れた場所には続々と報道陣や見物人が集まっていた。
集まったマスコミや見物人も台風が接近しているこのタイミングでの打ち上げ決定に不安と緊張を共有していた。
' 本当に打ち上げ出来るのか? '
その不安は打ち上げの様子を観ている世界中の人達も同様だった。
打ち上げの予定時刻は18:00。既に30分を切っていた。
「ルナさん、緊張してませんか?」
カミナはロケットのチェックをしながらもルナの体調の変化にも細かく目を通していた。
ルナの心拍数が80台まで上昇していたのを確認して声を掛けたのだ。
「え、ええ大丈夫。でもアシュレイ博士もこんな形で宇宙へ行った事はないみたいだから、緊張は… してるわね。アハハ… 」
ルナは正直に今の気持ちを伝えた。
「… 大丈夫。このロケットの状態は万全です。既に89万回以上オールチェックを繰り返していますが、問題ありません。打ち上げ迄に100万回はチェックしますから」
カミナの説明にルナは苦笑いした。
「さすがね。でもそこは心配してないわ。信頼してる。でも私には全部が初めての経験だから… 」
カミナはルナの瞳をジッと見つめ、コクリと頷いた。
「LH2、LOX、共に充填率93%」
カミナはモニターを見てチェックを続けた。
「船内内圧正常… 」
すると一つの表示が黄色く点灯した。
風速計が危険を感知したのだ。
~.
カイトはリビングでテレビ中継を観ていた。
照矢はまだ工場でお客さんのバイクの整備を続けていた。
父が一切テレビを見に来ない事に、少し心配と苛立ちを感じながらもカイトはテレビから目を離せないでいた。
「… 姉ちゃん」
思わず何度目かの声が口から漏れる。
' カミナの奴、失敗すんじゃねぇぞ! '
カミナの名前は意地でも口に出さなかったカイトだったが、心の中ではカミナに悪態を吐く様に祈る事を続けていた。
大学でロケット打ち上げの日が今日だと言うニュースを聞いて、カイトは急いで家に帰宅していた。
カイトは父が姉の為に新しく用意した別のバイクの試乗を兼ねて、バイク通学していた。
慌てて帰宅してバイクは工場に押し込んで、ドタバタと部屋に入ってテレビを点けたのだ。
幸いどこのチャンネルでも打ち上げの中継を生放送でやっていたので助かった。
丁度二人がロケットに乗り込む為に発射台に到着した所を見る事が出来たが、宇宙服と思われるスーツに身を包んだ二人の表情を確認する事は出来なかった。
テレビ局も『天照に選ばれたカミナさんとルナさんのお二人が今発射台へ移動します!』としか伝えなかった。
二人のパイロットについては謎のままだったのでテレビの司会者や専門家も様々な憶測をしていたが、どこのチャンネルでも的外れな想像の話をしていた。
' うちの姉ちゃんとカミナだよ! '
カイトは心の中で叫んでいたが、櫻子から二人の事は口止めをされていたので誰にもこの事は話していなかった。
「いよいよ発射1分前になりました。燃料の注入作業も終わった様です!」
テレビには燃料を注入している場所がズームアップされ、司会者の声にも緊張感が感じられる。
そのアナウンスに堪らずカイトは立ち上がって父の居る工場へ走った。
「父さん!いつまでやってんだよ!もう打ち上げまで1分切ったよ!」
しかし照矢は作業を続けている。
その背中をジリジリとした気持ちで見詰めていたが、返事もしない父にカイトは痺れを切らし声を張り上げた。
「いつまで意地張ってんだよ!これが姉ちゃん達の最後の姿になるかも知れないんだぞ!ちゃんと見送ってやれよ!」
カイトが生まれて初めて父に怒りをぶつけた瞬間だった。目には涙が浮かんでいた。
しかし父は黙って作業を続けている。
堪らずカイトは「薄情者!」と怒鳴ってテレビの前に戻った。
照矢は黙々とエンジンのカムシャフトの上のヘッドカバーを規定のトルクで締めていた。
背後でカイトが怒鳴っているのは聞こえていた。
だが照矢はお客さんのバイクの整備をキリが良い所までは仕上げておきたかった。
埃が入って良い所ではなかったからだ。
ルナの事、気にならない筈がない。
ヘッドカバーを取り付け、点火プラグを2本差し込み、素早く、丁寧に締め込んだ。
そして手でプラグキャップを嵌め込んだ。
「ふう… 良し… 」
すると照矢はクルッと踵を返し、ドタドタとリビングに駆け上がった。
カイトが驚いて振り返るが照矢はそれには反応せずテレビの前に両膝を着いて焦って画面に顔を近付けた。
既に発射のカウントは始まっていた。
「8、7、6、5…」
カイトも照矢の横に座っていた。
照矢はルナが産まれた時から目に入れても痛くない程に世話をし、他界した妻からも後を託された愛おしい娘が、
地球の存亡を賭けて宇宙へ行こうとしているこの瞬間に、震える声でテレビに呼び掛けた。
「ルナ… ルナーーーッ!」
「姉ちゃん!」
照矢とカイトの声がリビングに響く。
~.
「カミナくん!風速が!」
ルナはカミナの顔を見た。
瞬間最大風速が22m/sに達し、モニターの警告ランプが点灯していたが、カミナは発射管制室への信号をカットしていた。
「大丈夫!このまま行けます!」
カミナは強行するつもりだった。
' 少々無理をしてもボクがコントロールする限り乗り切れる!'
カウントダウンが続く。
「5、4、3、2… 」
発射指揮者の龍野がマイクに向かって発令する。
「メインエンジン着火!」
同時にHi-F1ロケットのエンジンのスイッチを入れた。
「… 1、リフトオフ!」
コクピットのカミナも同時に声を発していた。
「リフトオフ!」
全世界でその様子を映し出していたテレビの画面には轟々と吹け上がる爆煙でロケットの姿は見えない。
その映像から僅かに遅れて轟音がテレビからも聞こえて来た。
発射管制室のモニターには燃料を注入するホースが切り離され、発射台の横の塔が斜めに倒れる様に傾いて行く。
それと同時にロケットはゆっくりと上昇を始めた。
爆煙の中から上昇するHi-F1ロケットが姿を現し、現場の人、報道陣、近くの一般人、テレビやインターネットでこの様子を見守る全ての人が上昇して行くロケットの姿を見ていた。
「1、2、3… 」
秒読みはカウントダウンからカウントアップに切り替わっていた。
「新星暦0046年 11月8日 月曜日 18時03秒 Hi-F1ロケットは打ち上げられました」
テレビではその様に発表されていた。
「行ってこい… 俺の弟子達… 」
現場で見ていた村正が二人を乗せて上っていくロケットを見上げる…
「ルナ… カミナ君… 」
「姉ちゃん… カミナ!」
祈る様にテレビの前の照矢とカイトも二人の名を呟いた。
「灰月… カミナ君… 」
天野教授の家で櫻子と天野教授もこの様子を見ていた。
「後は任せたわよ… KAMINA… 」
櫻子のその言葉は天照を通じてKAMINAにも届いていた。
' 任せてくれ、櫻子… '
KAMINAはそれに答えた。
「まずは宇宙に無事に辿り着かないとだね… 」
天野教授の言葉に櫻子は黙って頷いた。
宇宙に上っていく二人の正体を知る者は限られていたが、何となく気付いてる人達もそれなりにいた。
ルナとカミナがデートで行った『Cafe ROUTE to the Sky』のマスター。
月光拳道場の後輩達。
ルナとカミナを乗せたタクシーの運転士。
そして現在拘置所の中にいる河水 流…
' そうか… ルナ先輩とアイツが宇宙に… ハハ…
通りで俺なんかが勝てる相手じゃなかった訳だ…
どうか無事で… ルナ先輩… '
皆の祈りを受けて、ルナとカミナのロケットは上昇していく。
~.
ロケットの中の二人は少し揺れを感じたがカミナの絶妙なコントロールでこの程度の強風は難なくクリアした。
リフトオフから1分06秒で音速を突破。
この時の方が衝撃は強かった。
高度が約10kmに到達する直前にHi-F1ロケットの横に取り付けられている4基のSRB(ソリッドロケットブースター)が分離し、眼下に広がる海へ落ちて行く。
直後にロケットに一番不可が掛かる危険な地点MAX-Qを無事にクリア。
高度は12kmを越えていた。
「MAX-Q クリア」
カミナの声は発射管制室にも届いていた。
管制室スタッフも胸を撫で下ろした。
「続いて第2段ロケットエンジン冷却開始!」
カミナは管制室にもちゃんと報告を入れていた。
本来この様子は管制室でコントロールされているのだから管制室でも当然把握されている事だが、今回の打ち上げはカミナがほぼ全ての工程をコントロールしている。
だから敢えて音声で報告しているのだ。
ルナの心拍数はかなり上がっていた。
「ルナさん、大丈夫だからね」
「う、うん」
カミナの気遣いにルナは胸の鼓動を落ち着かせようと堪えていた。
第2段ロケットエンジン冷却開始から約1分後、高度は91.6kmに到達。
「第1段ロケット切り離し!続いて第2段ロケットエンジン点火!」
カミナが状況を報告した直後、高度は100kmに到達し、Hi-F1ロケットは宇宙と言われる高度に到達した。
しかしまだ余裕で地球の重力圏に在る為、加速をし続ける。
「フェアリング分離!」
二人を乗せたサジタリウスを保護する様に囲んでいたフェアリングが二つに割れ、大気に吸い込まれて行く。
地上ではまだしっかりHi-F1ロケットの観測を続けている。
「ルナさん… もうここは宇宙ですよ」
「… ええ、そうみたいね… もう一人の私もそう言ってる… 」
ルナは不思議な感覚だった。
初めてここに来たのに初めてじゃない記憶がある…
昔は宇宙旅客機で宇宙に出ていた記憶がリアルに甦る。
リフトオフから約5分30秒が過ぎた頃、マッハ10を越え、高度は200kmに到達した。
ここは既に静止衛星が飛んでいる様な高度だ。
現在はデブリと化した物がほとんどだが。
この無重力感… ベルトでシートに固定されているとは言え、手足がフワッと浮き上がって来る感覚は少し怖い…
ルナはそんな気持ちを必死に抑えていた。
だが… 打ち上げは成功した。
発射管制室を始め、打ち上げに関わった全ての人、二人を知る者達、政府一同、一先ず計画の第一歩を無事に踏み出す事が出来た事を素直に喜んだ。
この時地上の瞬間最大風速は早くも25m/sを越えていた。
本当にギリギリの打ち上げだった。
実際はカミナが強行したのだが、それを知ってるのは人間ではルナだけだった。
しかしこの計画は、エラスティスの軌道を変える、もしくは破壊すると言うミッションは、これからが本番なのだ。
打ち上げから約8分40秒辺りで第二宇宙速度を突破した。
「第2段ロケット燃焼終了… 」
カミナは報告から約3分後、第2段ロケットからサジタリウスが分離した。
「新種子島宇宙センター発射管制室、こちらサジタリウスカミナ。
カミナ、ルナ両名健康状態に異常無し… サジタリウス、生命維持装置オールグリーン。
イオンエンジン問題無し…
この後19時40分にラグランジュ1の宇宙ステーションからの連絡艇と合流後そちらへ移乗。
それ迄の間、電力温存の為通信をカットします。
… その前にパートナーのルナより一言。
ちなみにこれは全ての放送チャンネルで放送します」
そう言うとカミナは地球の全てのチャンネルで放送される様に量子コンピューター達を使って設定し、マイクをルナに渡した。
「… 地球の皆さんこんにちは。私は新星暦初の宇宙飛行士になった、『灰月 ルナ』です… 」
ルナを知る身近な人達は先生、友人、先輩、後輩、近所の顔見知り、は勿論、父や弟も驚いた。
「ルナ… 」
「姉ちゃん!」
「え!?灰月さんとこのルナちゃんなの?」
「灰月…ルナ…?あの灰月ルナか?」
等々だ。
ルナを知らないこの放送を聴いていた世界中の人達もルナの声を聞いて驚いた。
それは本人を知らないまま許可を出した政府の閣僚各位も同じだ。
「え!?とても若い声だぞ?」
「本当に女性だったのか!」
ルナが本名を名乗った事で地上の報道機関は急遽慌ただしく動き出した。
そんな地上の喧騒を他所に、ルナは地球に生きている人達に語り始めた…
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