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~2. JOKER
ルナは量子テレポートされた自分の精神、思考、記憶、そして完璧にクローニングされた自分の身体の感覚を確かめながらカプセルベッドから地球の重力の6分の1しかないMBの床に脚を下ろした。
綺麗に磨かれた床は、179年の時を感じさせない。
完全な維持管理を行って来た証拠だろう。
ルナ・アシュレイがこのMBを離れて丸179年が経ち、既に180年目に入っている。
身体と記憶の感覚に違和感は全くない。
そしてKAMINAとカミナが居るこの部屋をゆっくり見回しながらゆっくり立ち上がった。
この部屋はアシュがKAMINAと一緒に人工知能を育てていた部屋だ。
世代を越えた時の流れの長さを感じながら部屋のあちこちに目を奪われる…
自分のコンソールの前にはMBの仲間達と写した写真が手のひらサイズの大きさで空中に投影されていた。
ここはずっとあの時のままなのだ…
カミナに促されコンソール前の席に腰を降ろした。
「KAMINA… 私の認証をお願い」
ルナはKAMINAに自分の生体認証を実行させた。
「了解…
… KAMINA人工知能開発主任責任者、ルナ・アシュレイ博士 バイオメトリクス照合確認。
認証完了。
ようこそ、アシュ!」
「… 本当に… 本当に私はここに戻って来たのね… 」
「… そうだよ、アシュ… 僕はずっと待ってたんだ… この時を…」
「180年も一人で待たせてしまって… ごめんなさい…
そして迎えに来てくれて、本当にありがとう… 」
ゆっくりカミナを振り向くと、そこにはKAMINAの代わりに涙を流すカミナがいた。
ルナはカミナに手を伸ばした。
カミナはその手を握りルナに寄り添った。
人間と機械の寿命は違う。だからこの180年と言う時間がKAMINAにとってどんな時間だったかは計り知れない。
とは言っても孤独に耐え、アンドロイド達を率いてルナを始め人間達の帰還するこの日を待ち望んでいたのは間違いない。
「貴方との積もる話はあるけれど、まずはMBとエラスティスの現状を簡単に教えてくれる?」
KAMINAは自分の想いはルナの手を握るカミナの手の握力に委ねた。
ルナを握るカミナの手にKAMINAの想いを込めた力が入った。
「了解」
KAMINA本体とルナの間の空間に、この180年の間に整備拡張されたMBの様子が映し出された。
MBで産み出されたアンドロイド達はKAMINAの計画通りに、いつ人間達がこのMBに帰って来てもな何の問題もなく生活し、仕事に従事出来る様に環境が整えられていた。
MBと宇宙ステーションを繋ぐ軌道エレベーターとその間に作られた居住区画や農業プラントや工業プラントは、今はアンドロイド達が従事しているが、将来的には人間達の雇用を創出する事も見据えられている。
いずれ地球側から造られるであろう数本の軌道エレベーターと、月の軌道エレベーターは連絡艇によって結ばれて地球と月の往来は180年前よりも楽になり、更に発展するだろう。
その為に月側から出来るアプローチのほとんどをKAMINAは実行していた。
しかしその為にも目前まで迫っているエラスティスを何とかしなくてはならない。
エラスティスの現状は既に観測シャトルの接舷に成功しているアンドロイド達からのエラスティス表層の情報と、確実に地球を目指していると言う確定事実のみが映像と共に送られて来ていた。
ルナは現状を把握すると地球の量子コンピューター達との情報共有率を確認し、KAMINAを含めた地球の量子コンピューター達による情報開示レベルの協議を実施を指示した。
即座にそれは行われ、まず月面基地『MB』の紹介を『ルナの声』を合成して、世界中で翻訳され放送される事が決定した。
~.
地球では丁寧な避難誘導が実行中だった。
日本では天照の指示に忠実に政府が対応していた。
医療施設で治療中の人は各自治体で準備している医療設備が整えられたシェルターへ、移動可能になった患者から移動が開始されていた。
政府が医療機器メーカーから最新の医療設備を天照の指示に従い購入し、早急に全国に配備していたし、他の保存食品やミネラルウォーターについてもそうだ。
逆に犯罪者に関しては犯罪歴、刑罰、服役期間、生活態度に応じて、恩赦を与えられた者、枷を付けられたまま移動になる者など様々だ。
脱走やトラブルを防ぐ為にこちらも細かい指示が出されていた。
どちらにしても避難誘導や、施設設営に等に従事する全ての人達もストレス管理を行いながら働いてもらう為にも、無用な情報漏洩が無い様に、各国の量子コンピューターにより情報統制が行われていた。
それにはKAMINAも協力していたのは言うまでもなかった。
新種子島宇宙センターの職員達も故郷や家族のもとへ帰り、避難を行っていた。
技術スタッフの宮平は身重の妻と共に避難していた。
勿論医療スタッフも傍に着いていたが、エラスティスが地球に到達する本当の残り日数をカミナに知らされていた宮平の心中は決して穏やかではなかった。
しかし平静を装っておくしかなかった。
それは事実を知る限られた人達皆同じだった。
そんな中、月面基地からの放送が届けられた。
誰もが驚愕する人工構造物が月や宇宙には存在する事を新星暦を生きる人々はリアルに知る事になった。
アンドロイド達が働く月面基地や超大な月面軌道エレベーター、宇宙ステーション…
想像を軽く越えたロストテクノロジーの現実。
それらは多くの人々に生きる希望を与えていた。
ルナとカミナの話も半信半疑の人達が居たが、リアルな映像を見せられて二人の関係を応援する人が増えた。
そんな他愛もない話が避難している人達にまだ冷静さを保たせているのだ。
この冷静さ、平静、日常と希望こそが大切だった。
仮にエラスティスの阻止が失敗したとしたら、今度こそ地球に生き残る生命体は失われてしまうかも知れないのだから…
~.
東京から帰り、一旦避難していた藤村教授は、大学の自分の研究室へ戻っていた。
ロストテクノロジーの第一人者である彼は宇宙に現存し、今も尚それが稼働し続けている事を知り、灰月ルナとアンドロイドカミナを信じる事にしたのだ。
月詠への電力の安定供給も行われている。その様子も把握しておきたかった。
' この危機を乗り越えた先に、まだまだ自分の力が必要になる… '
それは友の意志を受け継ぎ、無にしない為にも必要な準備だと思えた。
例えここで命果てようとも、それはそれで本望だった。
~.
' まさか灰月君がカミナ君と月まで行く事になろうとはなぁ…
カミナ君を修理した事がこんな事に発展するとはね。それも僅か二週間で…
こんな目まぐるしい時間を過ごしたのは人生で初めてだ… '
避難先のシェルターで天野教授は妻と共に『MB』や『宇宙ステーション』、『軌道エレベーター』の紹介映像を観ていた。
「まさか、貴方の教え子が月から話してるなんてね… 」
天野の妻は感慨深そうに話し掛けて来た。
「まったくだよ… まさかこんな事になるとはまったく想定外だ… 」
天野教授は肩を竦めてみせた。
「西谷君が私を頼って来た時も大変な事になったと思ったがね…
こんな重い責任を担うにはあまりにも若すぎる…
しかし『宿命』と言う物が本当に存在するのなら、それは彼女達にこそ使うべき言葉だろうね」
二人は静かにモニターを見つめた。
~.
西谷 櫻子は母親と共に避難所に居た。
天照の巫女たる櫻子にしてみれば何処に避難しようが関係ない事は分かっていたが、母を初め周囲の人達の様子を見る事はそのまま天照によりリアルな情報を提供する事に繋がっていた。
勿論天照にはKAMINAを含めた世界中の量子コンピューターから情報が入って来るのだからその情報量としては微々たる物だ。
しかし櫻子には櫻子の役目がある。
それは現場での的確な指示を出すと言う事だった。
天照とリアルタイムで繋がる櫻子は、何か難しい問題が起こった時に瞬時に適切な情報を得て解決する事が出来た。
現に避難所で急病人が出た際には避難所の看護師とその急病人のかかりつけ医の電話を天照を使って繋ぎ、事なきを得た。
なぜかかりつけ医の連絡先が分かったのかは不思議がられたが、そこは適当に誤魔化して場を離れた。
しかし非常に感謝されたのは間違いない。
またはぐれた親子を無事に引き合わせたり、無くし物を見つけてあげたりと、結構忙しくしていた。
櫻子の母はそんな娘を見て、少しは休む様に言った。
「灰月が今頑張ってるからね… 私は私の出来る事を頑張って起きたいの」
娘の成長を亡き夫 毅に見せたかった。
' 貴方… 貴方の娘は立派に人の役に立てる大人に育ちましたよ… '
~.
村正は自分の道場に居た。
ルナとカミナが無事に宇宙に行った後、直ぐに引き返したのだ。
自宅に到着する前に、一通りの説明をする為に灰月家に立ち寄った。
ルナの父、照矢は村正に何度も何度もお礼を言い頭を下げた。
弟のカイトもかつての師である村正に父と同様に頭を下げて礼を言った。
村正は照矢とカイトに早目の避難を勧めたが、自宅でルナの帰りを待つと言う二人に無理強いはしなかった。
気持ちは痛いほどよく理解出来たからだ。
かく言う村正自身もこうして自宅兼道場でラジオでルナの声を聴きながら、種子島に行っていた期間、稽古出来なかった分を取り返す様に稽古に没頭していた。
弟子二人が宇宙で命を賭けているのだ。
村正は弟子達に恥じない様にここで稽古を続けていた。
その中で新しい気付きを見つけた村正は、
' うん、今度あの二人にも教えてやろう '
そう一人納得し、再確認する様にまた稽古に没頭するのだった。
~.
照矢はその頃ルナの為の新しいバイクを準備していた。
今はお客さんは来ない。
開店休業状態だ。
だから徹底的に整備していた。
ルナが帰って来て足が無いのは困るだろう。
だからしっかり整備しておかなくてはならなかった。
そして一段落ついたらもう1台整備しようと用意しているバイクがあった。
「… まぁアイツは免許取得してからだけどな」
照矢はそのバイクを見やり、独りニヤッと笑った。
その間カイトはと言うと、ずっと部屋に篭っていた。
昼夜問わず、窓から見える『月』の油絵を描いているのだ。
もう既に三枚は描いているが、納得いく絵に仕上がらない。
「月の涙はもう要らない… 見た人が笑顔になる月に仕上げたいんだ」
こちらも独り呟くと、カイトはまたキャンバスに向かうのだった。
~.
「KAMINA、これからエラスティスが最接近するタイミングでエラスティスに乗り移ったとして、順調に事が運んだとしたら地球の重力圏からの離脱は可能なのかしら?」
ルナはアシュレイの顔になっていた。
「燃料漏れなどが無く、全てが正常であれば可能だよ… でも恐らくその可能性は限りなく低い。
設置されている加速用ブースターは観測の結果26基。
これは当時の記録を地球の量子コンピューターと照会したデータとも一致している。
本来はエラスティスが分裂する前に加速させる為に準備された物だから全てが完璧に正常であれば、現在のエラスティスを重力圏離脱させるのは余裕すらある。
けれど今回あれから丸179年が経過している。
全てが使えなくなっている可能性が高いと考えて行動するべきだと思うよ」
ルナは少し考えた。
' 確かにこういう場合、常に最悪を想定して手を打っておくべきだわ。
ならばやはりこの決定を今しておく必要があるわね… '
「分かったわ、KAMINA。
今ここに居る唯一の人間として、最終手段として『エラスティス破壊』を認めます!」
「了解です、ルナ」
こうして、資源衛生以外の天体破壊許可を初めて出した人間として、ルナの名前は刻まれた。
勿論、成功すれば英雄だが、失敗すれば…
人類、いや地球を滅亡に導いた人間としてKAMINAにだけ記憶される事になるだろう。
「KAMINA、出発までに必要な時間は?」
「準備は出来てるよ、ルナ」
KAMINAは許可待ちの状態で、準備だけはとうに終わらせていたのだ。
「さすがね、KAMINA。それでどんなメンバーを揃えてるの?」
「総勢52人のアンドロイド部隊で、リーダーは… 」
「僕だよ、ルナさん」
「…え? カミナ…くん?」
カミナはルナの顔を見ている。
「アンドロイド部隊だけでは無理なの?」
ルナは不安そうにKAMINAに尋ねた。
「そのカミナのボディは特別製でね。僕の意識と地球で学んだ全てが入っている。
ここで採取出来た希少な鉱物と ' N.D.B ' の融合で造られた『対エラスティス破壊用』の最終兵器なのさ」
「対… エラスティス用の最終兵器?」
ルナの脳裏にカミナがエラスティスと一緒に宇宙の藻屑と消える図が過ぎった。
そして自分を護って消えて行ったカミナのあの時の顔がダブった。
「ダメよ!… それはダメ… 」
ルナは思わずコンソールを叩き、俯いて声を絞り出す様にそう発した…
「ルナ… しかしそのカミナが行かなければ現場で適切な指示が出せない上に、エラスティスを最終的に破壊しなければならなくなったら、他のアンドロイド達では無理だ… 」
「KAMINA… カミナくんだけじゃないの、私は他のアンドロイド達にもここに帰って来て欲しいの…
私の前で自分を犠牲にする事を前提にした計画は認められないわ… 」
KAMINAは困ってしまった…
そうなると計画をまた新たに立案しなくてはならないし、その為に準備をやり直すとなると時間が足りないのだ。
しかしルナもそんな事は分かっていた。
「KAMINA… 私を53番目のメンバーとして入れなさい。
そうすればその計画を認めるわ」
「ルナ!それはあまりにも非合理的だ!
生身の君が行っても危険だし足手まといになるだけだ!
僕は君を護らなきゃならない!」
「貴方が護らなきゃならないのは私じゃない、人類全てよ!」
KAMINAはぐうの音も出ない…
ルナは続ける。
「そして私は貴方の設計者…
私は貴方の計画全てに責任がある。
だからカミナ君も、他のアンドロイド達も失いたくないの… 」
「… ルナ… アンドロイドはまた造れば良い。でも君が死んでしまったら… 」
「アンドロイドがまた造れば良いのだったら、私もまた造れば良いじゃない。KAMINAにはそれが出来るでしょ?」
「そ、それは… それはダメだよ… 」
KAMINAの人工知能は論理的な解を探していた。
「KAMINA… 人間とアンドロイド、量子コンピューター、みんな大切よ。
KAMINA、貴方が居るから私は死なない。
逆に私が居るからKAMINAやカミナ君、アンドロイドも死なせない。
私はこのチームのJOKERになるわ。
だからお願い。私をチームに加えて」
KAMINAは強引とも思えるルナの意見を考えた。
' JOKER… 本来の意味ではないけれど… ルナは『切り札』になるのか?… '
「分かった、切り札としてルナを計画に入れよう… 」
ルナの表情がパァッと明るくなった。
「ありがとう、KAMINA!
じゃあ直ぐに出発よ!カミナくん、連れて行って!」
「あ!待ってルナさん!」
カミナは飛び出して行くルナの後を慌てて追い掛けた。
「灰月 ルナ… ルナ・アシュレイ… 難しい人だ… 」
KAMINAは別の可能性を考える羽目になった。
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