魔女のいる世界にて

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魔女のいる世界にて

「あなた、どうして郵便屋を始めたの?」 「……生まれ持ってそういう性質だからです」 数通の手紙を受け取ったその魔女(ひと)は、秋の紅葉のような真っ赤な髪を風の妖精に遊ばせながら、私に視線を合わせるように地面に両膝をついた。レースとフリルをふんだんに使ったふわりとしたスカートが、タイルの地面に触れてくしゃりと衣擦れの音を立てる。顎の下を撫でようと手を伸ばしてくるのを、私は後ずさりして辞退した。 「あら、つれないこと」 「貴女がたの眷族と我々は違いますので」 魔女という生命体と出くわす度に、幾度となく繰り返した問答だ。 彼女たち魔女は「猫」という、我々によく似た姿の生き物を従えている。 猫は魔女たちに大層愛でられているが、非常に怠けもので、さらには非常に気まぐれである。日がな一日、寝転がっているのが仕事だから「ねこ」と名づけられた、なんて皮肉すら言われる生き物である。 しかし、生まれ持った生物としての性質に対して、そんな失礼な皮肉を投げかけられたところで、彼らが気にする風もない。矜持というものはないのか、と問いかけたいところだが、生憎、彼らと我々は姿形は同じくしていても、細やかな意思の疎通を交わすことはできない。それに私自身、気まぐれが過ぎる彼らとは積極的に関わり合いになろうとは思えない。 赤毛の魔女は、からかっているような表情を浮かべ、再びこちらに向けて手を伸ばしてきた。私はさらに後ずさりをして、くるりと彼女に尻尾を向けた。 「もう行ってしまうの?」 「ええ、次の仕事がありますので。――そうだ」 回れ右を途中でやめて、私は赤毛の魔女に向き直る。彼女は「なあに?」と可愛らしく小首を傾げた。 「つかぬことをお伺いしますが、この国で青い屋根の家にお心当たりはありませんか」 「青い屋根?あまり見ないけど……」 魔女は考え込むために顎先に指を宛がった。可憐な装いの白百合の妖精が、柵の向こうを懸命に指さして何かを伝えようとしている。それに気が付いた魔女は両の手の指先をそっと合わせた。 「ああ!そうね。確か、月の裏横丁に一件あったはず」 「ありがとうございます」 情報に対する礼を言うや否や、私は今度こそ踵を返す。これ以上捕まったら最後、魔女という生き物の話はとてつもなく長い。錬金術師との色恋沙汰の話から流行りのドレスの型、杖の手入れのこだわりに、昨夜見た予知夢についての学術的見解まで聞かされては堪ったものではない。 「待って。ちょっと待って頂戴、郵便屋さん」 呼び止められて私は渋々彼女を振り返った。丁度その時、私と入れ違うようにして赤毛の魔女の足元に一匹の三毛の雄猫が歩み寄る。 「ニコル、こんなところで……薬草畑の見張りのお仕事はどうしたの?」 主人の冷やかすような言葉を聞いているのかいないのか、彼はしきりに赤毛の魔女のブーツに身体を擦り付けている。 「仕方のない子」とあどけない少女のように微笑んだ赤毛の魔女の、爪紅に彩られた指に耳の後ろをくすぐられ、その雄猫は心地よさそうに目を細めた。仕舞いにはその場にごろりと寝転んで、腹の和毛まで晒してしまった。 その情けない有様に呆れて、私はひとりため息をついた。 彼ら猫との一番の違いは、我々郵便屋は仕事を仕事として遂行できることだろう。 我々の仕事。それは言わずもがな、手紙を届けることだ。我々は送り主も届け先も選ばない。世界の壁を隔てた場所にだって届けられる。生を受けたその瞬間、我々は郵便屋の象徴たる帽子を受け取り、背には鞄を背負い、各地の世界へと旅立つのだ。 けれど彼ら猫は仕事などしない。できない、もしくはする必要がないというのが正しいのかもしれない。猫は、そこにいるだけで仕事を果たしているのだ、と猫に心酔する者はよく言う。 猫が「にゃあ」だの「みゃあ」だのと魔女たちに甘えた声で話しかけているのを良く目にする。そして魔女たちはそれに喜んで応える。たとえ彼らが何を要求しているのかわからなくとも。 彼らに、何かを要求するに足る相手とみなされていることが、まるで誉れのように感じるのだと、いつだったか猫を溺愛する魔女に聞いたことがある。 「にゃあ」も「みゃあ」も彼らなりの言語なのだろうが、いかんせん、相手に通じない言語で話しかけ、自らの意を相手に汲み取らせようという姿勢はいかがなものかと私は思う。 けれど彼らにはそんなことは関係ない。あの雄猫も、気が済むまで撫でられたら、気ままに辺りを飛ぶ綿毛の妖精を獲物を捕る目で追いかけたりするのだろう。……頼まれた畑の見張り役のことも忘れて。 魔女と猫。はてさて、一体どちらが眷族なのやら。 「……レディ。御用件は」 やれやれと首を振り、猫の腹の和毛に夢中になっている赤毛の魔女に声をかけると、彼女は、はっとして、申し訳なさそうに微笑んだ。彼女の足元に寝転んでいた三毛の雄猫は、邪魔が入ったことに別段気を悪くした風もなく、飄々とどこかへと歩いて行ってしまった。 もし、何か一つ彼らを褒めるところがあるとするならば、あのスマートな尻尾だろうか。我々の毛ばたきのようなぶわぶわとした尻尾とは違って、とても美しいと思う。 魔女が星空の宝玉が付いた杖をひと振りすると、傍らの本の束の隙間から冬の夜空の色をした封筒が滑り出てきた。 封筒には金の箔押しでシロツメクサの模様が優雅なタッチで描かれ、冬の夕陽のようなオレンジの封蝋にはユリの花が刻まれている。 その装飾の丁寧さはとても大切な手紙のように見受けられた。 「お待たせしてごめんなさいね。この手紙をミリーマイアに届けてほしいの」 「承知いたしました……おや、宛先が」 魔女の飾り文字で書かれた宛先は「黄昏の原野」だった。そこは今私が四つ足をつけている場所とは別なところにある世界だ。 赤毛の魔女は、少し寂しそうな顔で俯いた。彼女の豊かな赤毛に群がっていた妖精が心配そうに首を傾げる。 「そうなの。あの子、いってしまったの」 赤毛の魔女の大きな瞳の縁に涙がにじむ。この子に何かしたのか、とばかりに白百合の妖精がこちらを、きっ、と睨みつけてきた。 「……まだ、五十年しか経ってないのね」 魔女という生き物はとても長命だ。少女にしか見えない赤毛の魔女も例外ではない。五十年などほんの数年のような感覚なのだろう。 赤毛の魔女を慕う好戦的なアザミの妖精に、尖った靴のつま先で小突かれるのがいい加減鬱陶しくなってきたところで、赤毛の魔女はようやく顔をあげた。 「駄目ね、泣いたりしたら」そう言った彼女は、驚くべきことに微笑んでいた。「こら、やめなさい」と私の頭に集るアザミの妖精を手で追い払う。綿毛の妖精がそっと彼女の涙の欠片を拭い去っていった。 私には、おおよそ全ての生き物が体験するであろう、今生の別れという概念が良くわからない。郵便屋は誰かと番うことも群れることもないからだ。我々郵便屋にとって、職務に当たる日々のすべてが他者との出会いであり、別れ。魔女は長命であるが、時空と世界を無限に超える我々郵便屋には、年齢という概念もない。私自身、自分がどれだけの年月を生きてきたのか知らない。 そもそも、どの世界の時間で数えれば良いのかなんて、誰も知らないのだから。 いつのことだったか、郵便屋に死というものはあるのか、と問われたことがある。生まれるということは、いつか死ぬこともあるだろうと私は思う。 彼女が涙を流したことについては、理論としては理解できる。友を喪った悲しみと、寂しさからだろう。けれど、その次に浮かんだ微笑みの理由は、私にはよくわからなかった。わかりたいと思っても、郵便屋として生まれた私に、それを理解することなど到底出来はしないだろう。 「――それでは、こちらのお手紙、お預かりいたします」 赤毛の魔女は「お願いね」と明るく言うと、先ほど手渡した彼女宛ての数通の手紙をひらりと振った。その風圧に煽られた綿毛の妖精が、心地良さそうに辺りをふわふわと舞う。魔女の腰にぶら下がる乾燥したタンジーの入った細い瓶が、きら、と光を反射した。
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