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病魔vs恐怖
その女は、都市伝説の女だった。夜間、人気のない通りを一人で歩く人の前に現れる。容姿は長く乱れた黒髪、麻色のロングコートを季節を問わず着込んでいると言う。赤いトレンチコートと言う説もあるが、共通していることがある。女がマスクを必ず着けていると言うことだ。顔の半分を覆うという特大マスク。この女、人前に現れると、必ず一つの事を訊ねると言う。
「私、綺麗?」と。
綺麗と答えると、「これでも?」と言いながらおもむろにマスクを外す。その表情、口が耳まで裂けており、唇は深紅に染まっている。裂けているところは腐蝕し、紫色に変色した皮膚より染み溢れ出る黄白色の膿が頬を伝わり、悪臭を放ちながら、ぽたりぽたりと地面へ落ちる。その様、直視した者に怖気が走らない者はいないだろう。悲鳴を上げると、それは綺麗を否定するも同然。
「私、綺麗?」
質問に綺麗を否定する内容、態度で答えるとどうなるか。答えた者の顔に同じ傷をつけるか、心臓を原型を留めぬほど刺す、刺す、とにかく刺す。例え子どもだろうと、容赦せず刺し殺す。無残な死体は、そのまま路上に放置されて。
凶器は長さ40センチの巨大で鋭利な布切りバサミ。または手術用のメスと言う話もある。
その女を人々は畏怖し、こう呼んだ。
口裂け女と。
口裂け女が東京のいたるところで出没するという噂が流れ始めた。都内路上で不審な死をとげた遺体が多数目撃され、発見者からネットで情報が拡散された。手口が口裂け女伝説そのモノだと。世間では、ゴロゴロウィルスが蔓延し、飛沫感染するとのことで、マスク着用が必須となっている。
ゴロゴロウィルスの致死率は世代問わず30%。このウィルスに人々が立ち向かっている最中の、まさかの都市伝説。しかし、ある日を境に、口裂け女の仕業と言われる事件が鳴りを潜めた。最後の被害者にウィルス反応がみられ、ほどなくして、だ。
口裂け女は、戸惑いをみせていた。『何だ?体が熱い、痛い、呼吸が苦しい。』これは、全てゴロゴロウィルスに感染した者が発症する症状。口裂け女が間近に殺害した女性は、酷く咳き込んでいた。そう、ゴロゴロウィルスに感染していたのだ。そうとは知らぬ口裂け女。お決まりの台詞をマスクを外し、言い放った。
「私、綺麗?これでも?」と
けたたましい悲鳴を上げる女性。と、同時に口裂け女の虐殺が始まる。女性のマスクを外し、口を裂き、心臓に何度も何度もハサミを突き立てる。その間に女性から血とゴロゴロウィルスの飛沫が大量に飛び散り、それを浴びる口裂け。本来、この瞬間こそが口裂け女、至高の時。そして、それが皮肉にも濃厚接触となり感染したのだ。思わぬモノから反撃を受けた口裂け女。魔の者に行くべき病院はなく、病魔は体を蝕み、疲弊していく。
いや、いやだ。死にたくない!死にたくないよう!死にたく・・な・・い・・
口裂け女は死んだ、人知れず。人々に恐慌をもたらす恐るべき魔物を滅ぼしたモノ、それは、人類が遥か昔より怖れしウィルスだった。
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